鹿島鉄道廃止を見送る(3/31)2007年03月31日 23:23

鉾田駅を後にする上り最終列車(3/31)。
 調子はあまり良くないが、とりあえず起き出す。
 報道では、茨城交通は来年度末での廃止届けの提出は見送ったようだが、とりあえず廃止届け云々に関わらず、地付きのファンとしても、一時期利用していた身としても、これからは出来る限りの支援はしておきたいと思い、今日が有効期限となってしまった鹿島鉄道の通勤定期券同様、明日4/1~9/30までの6ヶ月の通勤定期券を定期券を買いに、先ずは那珂湊の駅まで出向く。
 阿字ヶ浦~勝田を申告すると、出て来た定期券の券面は「阿字ヶ浦」が印刷で「勝田」がスタンプの「阿字ヶ浦駅発行」のものだった。両方の駅名がスタンプで「那珂湊駅発行」を想像していたので、ちょっと驚く。
 茨城交通はキハ3710-02とキハ37100-03の単行がそれぞれ運用に入っていた。

 その後北関東自動車道ひたちなかICから茨城町東ICを経由して、今日の運行をもって廃止となる鹿島鉄道の桃浦駅へ。
 期待していた桜の開花状況は二~三分咲といった感じでいまいち。水戸近辺の桜が見ごろとなりつつあったので多少拍子抜けをする。
 そうはいっても桃浦駅には、去年の桜のピークと同じくらいの人が居り、さすがに最終日だと実感する。
 来ているはずの友人と連絡をとり、桃浦-小川高校下の霞ヶ浦バックのポイントで合流。
 その後、何箇所かの駅とポイントを巡ってから鉾田駅へ。
 
 ・・・・・・なんというか、悪い意味で廃線になると何故か人が来ることを「廃線祭」などとという隠語で呼んでいたわけだが・・・・・・。
 鉾田駅前には山車が2台も出て、大音量でお囃子が鳴り響いている・・・。
 これがホントの「廃線祭」。唖然とするというか、眩暈がした。
 いや、やるとは聞いていたが、ホントにやるのね(汗。
 暗い話題を祭で吹き飛ばそうとでもいうのだろうか、とにかく、しみじみ83年間の思い出に浸ろうという感じで無いことだけは確かである。
 なんというか、受けた印象でいうと「やけっぱち」?。出店が並んでいないのがせめてもの救いか(ぉぃ)。
 鉾田駅前はものすごい人だかりで、駅前の県道には交通整理の若衆が10人ほど、たいやき屋の列は駅舎を飛び出して長く延びている。
 とにかく人、人、人で当てられて一度鉾田駅を退去する。
 どの列車も超満員。たった9両の車両が5運用(2両×4組・単行1両)をフル回転でこなしている。葬式鉄と仇名される遠来の鉄道ファンと、地元のお名残乗車の家族連れで溢れている。ちいさな子供連れが多いのは「鹿島鉄道に乗った」という体験をさせておきたいというところだろうか。

 その後、沿線をまた何箇所か廻り陽も暮れて来たところで、もう一人友人が合流。そして、再度、鉾田駅へ。涙雨か、雨もぱらぱらと落ちてきたが、お祭りは続いており、駅前ではお囃子が高らかに鳴り響いている。

 日も暮れてしまい、最終列車までの時間を駅で過ごすのも疲れそうなので、夕食も兼ねて鉾田の街の外周道路沿いのファミレスに逃げ込むが、ここも満員で大分待たされる。
 とりあえず席を得て、最終列車の時刻まで暇つぶし。
 一昨年の日立電鉄の最終日は平日でもあったため訪問はしなかったのだが、今回は土曜ということもあり来てみたわけだけれど、なんというか完全に周囲にテンション負けしてしまっている。
 小学生の頃、石岡から鉾田まで一人で乗車して以来、40年近く親しんで来た路線の最後ということで喪失感に苛まれながらの訪問になるかと思っていたのだが、そういった自分の内面の側に意識が倒れる暇を与えてもらえないという感じ。考えてみれば、列車や車両の廃止当日というのは何度か通っているが、路線廃止の当日というのは今まで殆ど経験した事が無い。筑波鉄道も行かなかったし、それ以前のこの辺りの鉄道路線の廃止はみな、ちょうど俺が生まれた頃の事だ。廃線跡の散策は趣味として続けて来ていたが、考えて見れば確かに廃線当日という火事場というか修羅場は今回が初めてなわけだ。

 上り最終の時刻が近づいたので、再度鉾田駅へ向かう。
 お囃子はまだまだ止むことを知らない。「おっしゃい(注)」が出るくらいだからどちらかというと祭りの最高潮と言っても良い(苦笑)。
(注)「おっしゃい」茨城県央の祭りのお囃子としてはかなりポピュラーなもの。各お祭りで調子や音程は微妙に違うが、那珂川以南の水運での繋がりのせいか、鉾田以外に那珂湊・大洗等でもほぼ同様のものが奏でられる。

 人の様子を見て、乗れるようなら最終の上りで玉造町まで行き、最終の下りで鉾田まで戻って来ようかとも思っていたのだが、人の群れに恐れをなして乗車するのは止めて、鉾田で見送り・出迎えをすることする。

 最終の上りとなる列車は25分遅れで鉾田駅に到着。満員の乗客を降車ホームに吐き出し、満員の乗車ホームの客を呑みこんで出発して行った。
 その間も、鉾田駅の売店はフル回転。名物のたい焼きを求める列は未だ続いている。

 最終の下り列車は発車予定を30分過ぎた22時を廻っても石岡を出発出来ずにいるとの案内が構内に流れる。それでも出迎えの人が減ることは無かった。
 さすがにお囃子の方は周囲の住宅への騒音の懸念等もあるのか、昼からずっとぶっつづけで力尽きたのか、列車の遅れは待てずに終了した様子。
 鉾田駅はまた変わった空気に包まれる。
 23時を廻って、最後の営業列車となるキハ431+キハ432の2連が到着。最後の運転士に花束贈呈が行われた後、キハ432はキハ431を鉾田駅に残し常陸小川へと走り去る。
 その後、キハ431は入換えを行い鉾田駅の側線へと移された。
 更に鉾田には回送のKR-505+キハ601の2連が到着。なんとか日付の変わる前に車両は構内に留め置かれる。
 なんでも、鉾田駅の駅舎ともども、保存の話しが動きつつあるらしいとの話し。事実であれば喜ばしいことだし、一安心といったところか。
 まぁ、ここいらの話しはそのうちもう少し詳しい事がわかるだろう。

 友人を石岡の宿へ送る途中で、常陸小川と石岡の機関区を覗く。
 常陸小川では432・714・KR-501の姿を確認。
 石岡にはKRが少なくとも1両とキハ602が留置されていた。

 その後常磐道千代田石岡IC~水戸北IC(仮)を経由して帰宅。
 今、廃止の瞬間を見届けて来たはずなのだが、廃止という実感は未だに湧かない。
 とにもかくにも疲れた。