航空観閲式事前公開(10/12)2008年10月12日 23:59

ソロ2機によるタッククロス
 航空自衛隊百里基地で行われる航空観閲式(10/19)の予行演習として一週間前に実施される『航空観閲式事前公開(10/12)』の招待券2枚と、駐車券1枚を確保できたので、知人を誘って出かけることにした。
 参号機に撮影機材を入れたDパックだけを載せ、友人との合流場所の石岡駅へ。

 今日はいつもの初号機はお留守番である。何故かといえば、初号機には、鉾田駅での作業に使う、鎌やら、鉈やら、エンジン除草機とその燃料に替刃、エンジン発電機の燃料補給用ガソリンタンク、ノコギリにカッター、錐に電動ドリル、電動ジグソー、充電式インパクトドライバドリル、バールに金槌、人を撲殺できそうな大型三脚などなど危険物が満載で、とてもではないが、そのままでは基地のゲートの中には入れてもらえそうにないからである。(要するにそれらの機材を全部初号機から降ろすのが面倒だったのだ)

 石岡では6号と355号の合流する山王台の交差点の渋滞を嫌って、改札のある西口側へアクセス。時間制限のある駅前の送迎車駐車場に車を止める。
 駅前には、制服を着た案内担当の自衛官が石岡駅から百里基地までの連絡バスの乗り場への案内看板を準備して、招待客を誘導中。
 普通列車で来る友人を待つ間に、下りのスーパーひたちが石岡に臨時停車し、招待者と思われる大量の下車客を吐き出す。今回の航空観閲式にはJR東日本も一定の協力をしているようだ。

 友人を拾い、混雑の見込まれる国道355号線常陸小川経由のコースを避けて、山王台交差点よりも大分北側から国道6号に出、しばらく北上し、途中から右折して基地の北側へ繋がる道に入る。途中、要所要所の交差点には、委託の警備員がプラカードを持って道路脇に立っており、駐車券を掲出した車両を誘導している。入場口の第一北門へは、ほぼ直行の形で抜けられる細い路地があったのだが、誘導員が他のコースを指示していた事と、想定より大分車が少ないこと、そしてその後の第一北門へのアクセス経路は全て左折になることから、大人しく誘導に従うことにした。

 第一北門では、アクセス道路の県道までははみださないものの、それなりの車の列。ゲート入口での検問は3台単位で行われていた。
 後部ドアの開放や下車、ボンネットの開閉等は覚悟していたのだが、『助手席の窓を開けてください』と言われ、ウインドを開放すると、そこから車内に数cm~10cm程度、車内に謎の機械が挿入され、10秒ほどで、『OKです』とこと。友人が咄嗟に『これは何ですか?』と話しかけたが、担当の自衛官からの説明は無かった。結果として『なんで大丈夫と判断されたのか』は全く謎のままである。

 誘導に従い、車を駐車場に止める。歩き出すと、基地と駐車場を結ぶシャトルバスの乗り場の手前に、多数のテントが張られ、今度は対個人のセキュリティチェックが行われていた。チェックのレベルとしては空港並みといったところ、携帯電話・財布等はトレイに出し、手荷物はX線の検査コンベアの中へ、人間本人は金属検知器のゲートを通る。が、ブザー鳴動。成田・シャルルドゴールに続いて3回目の失敗、安全靴を脱ぐのを忘れていました(苦笑)、靴のみX線に回してもらい、靴無しでゲートを再度通過したところ全く問題なし。
 
 シャトルバスは関東鉄道の通勤型のバスが低床車を含め大量投入されており、受付ゲートまでは基地の中を施設を見ながら進む。ゲートガードのF-104Jは、やはりこれぞジェット機という美しい形状で、塗装の状態も良く目を引く。奥にはT-33,F86F,F86Dといった日本の空を代々守り続けてきた機体が並んでいる。機会があればじっくり見て写真を撮りたいものではあるが、基地祭では周囲に人が居るしで、クリアに撮るにはかなり難物といえば難物ではある。

 シャトルバス下車後、各招待券の半券部と券番の一桁目のアルファベットでゲート毎に振り分けられ、入場確認のためのリボンとリーフレットと耳栓が手渡されてようやく敷地内の公開エリアに入場。

 外来機を見回すが、新鋭機のハレの舞台になるのではと期待していた海上自衛隊のXP-1[P-X](次期対潜哨戒機、及び、航空自衛隊のKC-767(空中給油機)の地上展示は無く、がっかり。
 結局、この両機は政府専用機(B747-400)ともども、観閲飛行にも参加しなかった。

 開会には未だ時間があったので、地上展示を冷やかす。F-2B(33-8122・第4航空団第21飛行隊)とF-15J(52-8848・第7航空団第204飛行隊)のコクピットが覗き込めるようにタラップが整備され公開されていたので、アビオニクス的にはF-15Jよりは新しいものが取り込まれていると思われ、また航空祭では外来機なのでコクピットの公開は期待薄なF-2Bの方の列に並ぶ。並んだ時間は20分も無かったような気がする。航空祭ではこうはいかないのでありがたい。
 一週間前にパシフィコ横浜で展示された国産ステルス研究機のモックアップ「神心」の地上展示も無し。これは時間的に無理だったのかも知れない。本番(10/19)ではやるのだろうか。
 他には同じ格納庫内に救難ヘリUH-60J(58-4582)が展示。

 楽隊の演奏が始まったので、席の指定エリアが違う友人と一度別れて、指定エリアのスタンドの最上段の空いていた席へ。下の段で巨大な望遠レンズを振り回すと周りの人が迷惑この上ないからである。やはり最上段は大口径望遠レンズを抱えた同業者多数の様相。

 とりあえず、あくまで観閲式なので、やることは当然ながら儀式であるわけで、ヴィジュアル的には実に平凡なものである。楽隊の演奏に合せて整然と入場してくる陸海空の自衛隊員の行進を見ることになるわけだが、なにせ飛行場、スペースがやたら広いので、当然時間もかかる。この手が好きな人にはまぁ許容範囲なんだと思うが、余り興味も無いのだけれど、とりあえず招待されてしまったので来てみました、なんて人にはちょっと退屈な時間だったかも知れない。

 途中、陸上自衛隊の儀仗隊による観閲官に対する栄誉礼があり、5月の陸上自衛隊霞ヶ浦駐屯地の一般公開での少年工科学校のドリル部の儀仗ドリルの演技( http://jp.youtube.com/watch?v=JGvqnF4tJHo )を見ていたので、そういったヴィジュアルなパフォーマンスもやるのかなとちょっと期待したのだが、後で調べてみたら、少年工科学校の方はあくまで学生の部活動の位置づけであるようで、国賓への儀仗を行う第302保安警務中隊の隊員で編成される特別儀仗隊とは、そもそも陸上自衛隊内での位置づけが全く違うようである。
 なんというか、今回、初めて航空観閲式(事前公開)を基地の中に入って見物することができたのだが、とりあえずヴィジュアルなパフォーマンス的な要素はほとんど無い(というかプログラムにそういう方向性を持たせること自体が全く考慮されていない)イベントであり、想像していたよりもかなり硬派で玄人好みのイベントだった。

 先ずはF-15J/DJの4機によるメモリアルフライトから展示飛行が開始。この辺は基本的にアメリカさんの風習のはずで日本で積極的に真似する必要も無いような気もするのだが、伝統的に米空軍機を使い続けてきている航空自衛隊だと、こういう発想になるのはまぁさもありなんといったところか。

 その後、各自衛隊の航空機のフライパスによる受閲となるわけだが、今回は経費節減等の要求もあったのか、以前に比べ機種も機数も控えめ。それでも海自は未だ先行機2機しかないUS-2の2号機(9902)を飛ばしてきていた。ただ、配備機数も多く基地も近いP-3Cは単機(5003・海上自衛隊厚木航空基地航空集団第4航空群第3航空隊)のみでのフライパスだった。

 陸自は観閲飛行は回転翼機のみ、UH-1HとOH-1とAH-1Sの3機編隊。フライパスした戦闘ヘリはAH-1S(コブラ)のみ(番号未確認)、AH-64D(アパッチロングボウ)は地上展示(JG-4504)のみでフライパスは無し。この戦闘ヘリ(AH-64D)も高価格と自衛隊の想定する現実的な脅威の変化等によって調達が打ち切られる方向のようで、十数機のみの調達に終わるようだ。

 空自はE-2C(44-3462・早期警戒機・三沢基地第601飛行隊)から、これも単機でのフライパス。通例は複数機だったはずで、迫力不足。
 続くC-130H(95-1081・輸送機・小牧基地401飛行隊)も単機。イラクへの支援に行っている機体と同様の明るいガルグレイ塗装だが、さすがに尾翼に「UN」とは書いてはいなかった(笑)。
 輸送機が続き、次は国産のC-1の2機編隊(58-1006/68-1017・美保基地403飛行隊)。静荷重試験での強度不足などから後継機となる次期戦術輸送機C-Xの初飛行は遅れてはいるが、退役へのカウントダウンがはじまりつつある。
 次は捜索救難機のU-125(82-3009・52-3023)の2機編隊。
 ここから、作戦機になる。
 先鋒は地元百基地のRF-4EとRF-4EJの3機編隊(57-6907/07-6433/47-6335・戦術偵察機・第501飛行隊)形態は増槽無しのクリーン。
 次はF-2A(支援戦闘機)の3機編隊。主翼内側のパイロンに左右それぞれ一つづつ2本の増槽のみ。ちょうどバッファフルになってしまい、編隊でのショットはなんとかしたが、最接近時の機番確認ショットの機会を失う。F-2の機番は、上面にかかっているため正確に判読できず。黄色のテイルレターから築城基地の第8航空団第6航空隊のものと判別。
 それからF-15J/DJの3機編隊(92-8094/22-8055/52-8861・第7航空団百里基地第204飛行隊)、形態は中央及び主翼下左右のパイロンに増槽を計3本搭載した形態。
 そしてトリはE-767(74-3503・空中早期警戒管制機・浜松基地第601飛行隊)の単機。
 
 その後、航空自衛隊の移動部隊の展示走行ということで、パトリオットシステムを含む高射隊と基地防空隊の各種車両の展示走行、及び、有時の際に前方展開、あるいは基地機能喪失時のバックアップとしても機能することになる警戒・管制・気象・通信等の各種車両が走行した。北海道の千歳基地から展開してきている部隊もあり、各車両のパンパーの所属表示も興味深かった。

 その後、スタンドの前でF-15J(32-8822/42-8950・第7航空団第204飛行隊・単射程AAM[模擬弾]×4+中射程AAM[模擬弾]×4+センターハードポイントに増槽1本の制空仕様)。
 F-2A(73-8507/73-8543・三沢基地第3航空団第3飛行隊)は、翼端左右短距離AAM×各1計2+の翼下ハードポイントにASM(空対艦ミサイル[模擬弾]左右各×1計2発)+翼下増槽左右各×1本計2本の対艦攻撃仕様。
 F-4EJ改(57-8369/57-8342・三沢基地・第3航空団第8飛行隊)は、翼下パイロンに左右各3発のMk82(500lb)通常爆弾計6発とセンターハードポイントに増槽1本の対地攻撃仕様。
 以上3機種各2機合計6機による航空機地上滑走が行われる。スタンドの上の方から見ているとただ走っていくだけなので、余りインパクトが無いが、VIPスタンドや観閲官席だとそれなりに近いので音も含めてそれなりに迫力があるのかも知れない。まぁ、昔むか~しは入り込めた百里の誘導路がくの字に曲がっている林のフェンス際からの方が、今回のスタンドよかよっぽど近くでタキシングしていくF-4EJを見ることができたのだが。(搭乗員も手を振ってくれたりしてサービスしてくれたし良い時代だった)。

 ここから展示飛行開始、先ずは地元百里基地、梅のマークの第7航空団305飛行隊のF-15J、2機による模擬スクランブル。機体は8のゾロ目でおめでたい72-8888と72-8962。特に武装は無く、センタータンクのみの形態。

 次は三沢基地・第3航空団第3飛行隊のF-2A(03-8506)による機動飛行。センタータンク1本のみの装備、天候のせいか、目立ったヴェィパーの発生も一回きりで、背中ばっくりみたいな刺激的な姿勢もそれほど見られず、淡々と飛んでいる感じ。同じ三沢の米軍さんのF-16Cのデモフライトと比較してしまってはさすがに酷かとは思うが、機動飛行はいわば『華』であるわけで、ちょっと消化不良気分。まぁ、アウェーの百里で、そんなに練習回数も無しにやっている事を考えればそれも仕方の無いことではあるのだろう。しかも何処かは知らないが他の基地からのリモートでのフライトなので、帰りの燃料の重さもあるだろうし。

 その次は捜索・救難のデモンストレーション。先ず百里救難隊のU-125A(12-3016)が捜索飛行を行い、遭難者を発見し、マーカーと救援物資を投下。そして救難のために同じく百里救難隊のUH-60J(18-4551)が到着し、機体両側面のドアを開放し左右にワイヤを投下し隊員が降下、そして遭難者をホイストで収容し現場を離脱という一連の流れ。UH-60Jの収容作業中、U-125Aは周囲を旋回し状況監視。

 続いてC-130H(95-1082・小牧基地401飛行隊)による物資投下。無造作にパレットを3つ放り出して行ったような印象だったが、物資はドンピシャで観閲官席正面のエプロンと滑走路の間の狭いスペースに接地。待ち構えていた隊員によりすぐに回収されてしまった。これはかなり見事だった。

 そして、お待ちかねのブルーインパルス(松島基地・第4航空団第11飛行隊)の飛行展示になるわけだが、通常の航空祭ならば機体は会場正面に列線を作り、パイロットのウォークダウンから始まるのだが、そういうものは全て省略。6機ははるか滑走路端に既に待機しており、いきなり離陸から展示飛行(演技ではない)が始まった。
 天気も上々なので、D3は、スタークロス/バーティカルキューピッド/レインフォール&レベルオープナー/さくらのビジュアル系4科目狙いで広角ズーム(AF-S NIKOOR 14-24mm F2.8G ED)に換装し、D200に超望遠ズーム(SIGMA APO 150-500mm F5-6.3 DG OS HSM)を振り換える。D200のバッファフル時と引き不足時の保険でFinePix S5Proに望遠ズーム(SIGMA APO 70-200mm F2.8 EX DG HSM)を付けておく。
 ・・・・・・このレンズ選択がそもそも誤りだった。
 ウォークダウンが省略されていた時点で、飛行科目にも省略があるかも知れないと気がつかなかったのが全ての敗因。そうなのだ、今日の飛行は展示飛行であり、ショー的な要素を期待してはいけなかったのだ。とどのつまり、展示飛行は錬度を示すための難易度の高い編隊飛行等を中心としたメニューで行われ、D3で狙おうとしたビジュアル系4科目のうち3科目(スタークロス[5機でスモークで☆を描く]/バーティカルキューピット[2機が垂直にスモークでハートを描き、そのハートをもう1機が断続させたスモークの矢で貫く]/さくら[6機で等間隔に交差する真円を描き5枚の花びらと花芯を表現する])は省略された。
 結果、ブルーインパルスの展示飛行に関しては、ほとんどの撮影をD3に対して明らかに性能で劣るD200とS5Proで行うことになってしまい、D3で撮れたのは僅かレインフォールの数カットという惨憺たる結末になった。というわけで、今回の画像はD200で撮ったものである。
 言い訳がましいが、空モノはここのところ余りというか全く追っかけておらず、ブルーインパルスの飛行プログラムも頭に入っていない状態だったので、D3を使う機会は今か今かと思っているうちにロリコン(ローリングコンバットピッチ・4機編隊の方の最終演目)に入られてしまい、唖然・・・という次第である。
 とりあえずT-4の機体は1番機(66-5745)、2番機(46-5731)、3番機(46-5729)、4番機(46-5728・テイルレター無しの予備機)、5番機(45-5726)、6番機(26-5805)だった。

 以上で展示飛行は終了。とりあえず出し物は終わりということで、エプロンが開放され、地上展示されている機体や機材に近づくことができるようになる。気を取り直してD3に標準ズーム(AF-S NIKOOR 24-70mm F2.8G ED)を付け、他の機材はDパックに放り込んで行動開始。

 先ず、別の場所に居た友人と合流。その後地上展示機材を順に眺めていく。とりあえず南側の端まで行ってみようというところで、一番南側に展示されていた移動部隊で、機材の展開作業の展示が始まった。電源車や管制ユニットを接続し、データリンクアンテナを展張し、フェイズドアレイレーダーを収納状態から展開し、パトリオットのPAC-2とPAC-3のランチャー各1機(それぞれキャニスターが4つあり実戦時はPAC-2は各1発づつの計4発、PAC-3は各キャニスターにそれぞれ4発の計16発のミサイルが入っている)をレーダーの指向方向に向け仰角をかけ発射体勢にするまでが展示された。

 隣接する航空機の最南端はE-767(64-3502・空中早期警戒管制機・浜松基地第601飛行隊)。

 次からは回転翼機で、陸上自衛隊の汎用ヘリのUH-60J(43113)。

 更に戦闘(対戦車)ヘリAH-64D(アパッチロングボウ・74504・霞ヶ浦駐屯地所属)、マストにはロングボウレーダーを装備した状態。左右の外側のパイロンに19連装のロケット弾ポッドを装備、これは霞ヶ浦の公開のときとほぼ同様のいでたち。

 次は海上自衛隊の固定翼機、対潜哨戒機のP-3C(5097)、次期対潜哨戒機は国産での開発が進んでおり、XP-1[P-X]が既に初飛行に成功している。

 その隣は、海上自衛隊の回転翼機、掃海・輸送用のMCH-101(8651)。

 さらに、海上自衛隊の新鋭機、対潜哨戒用のSH-60K(8408)。

 そして、ここから航空自衛隊の正面装備になる。

 先ずは、地元百里基地の305飛行隊のF-15J(22-8805)と(22-8813)。センタータンクのみの比較的クリーンな状態。

 次は、松島の第4航空団第21飛行隊のF-2B(28-8111)と(23-8118)。これもセンタータンクのみの比較的クリーンな状態。

 さらに、千歳から南国に移っても羽ばたく「尾白鷲」那覇基地の南西航空団第83航空隊のF-4EJ改(87-8404)と(17-8440)。440号機は、航空自衛隊のF-4EJの生産最終号機であるとともに、合計5194機製造された全世界のF-4の最終号機でもあり、世界で最も新しいファントムⅡということになる。わざわざ440号機を連れてきたのは、部隊改変で、那覇基地へのF-15飛行隊配備と入れ替わりで百里に来るという話しもあり、粋なはからいといったところだろうか。

 その隣に501飛行隊(百里)のRF-4E(57-6913)とRF-4EJ(57-6374)。

 次はジェット練習機T-4(06-5642・百里基地・第7航空団第204飛行隊)

 さらに、初等練習機T-6(76-5944・航空幕僚監/航空教育集団第11飛行教育団第2教育飛行隊[静浜基地])。

  そして、航空自衛隊の救難へりUH-60J(08-4572・旧塗装・小松救難教育隊)。こちらは、従来の白/黄色の警戒色塗装、救難展示飛行を行った同型機が青系の迷彩塗装だったのと好対照。救難ヘリだが、平時には遭難者に対して目立つ塗装が、有時には逆に発見されにくい迷彩塗装が好ましいわけで、軍用機の運用におけるそういったジレンマが垣間見えてしまう。30年前の航空自衛隊の飛行服はそれはそれは派手なオレンジ色だった。今の色の方がそういう意味ではより実戦的になっている。(まぁ一時期機首下面にダミーのコクピットを描く迷彩[ドックファイトで機体の姿勢を相手に認知させにくくするため]が流行った時期もあったし、流行り廃りはあるのだろうが、F-22みたいな問答無用の性能を持ったのが出て来てしまうと、そういう運用現場の涙ぐましい試行錯誤がいっぺんにひっくり返ってしまうわけで人事ながら大変だなぁと思う・やっぱラプターってキラーコンテンツだよなぁ)

 お次は航空自衛隊の輸送ヘリCH-47J(57-4493・航空救難団入間ヘリコプター空輸隊)。陸上自衛隊も調達している自衛隊のツインロータヘリの代表機種。

 そのお次は、航空自衛隊の輸送機兼救難機等飛行操縦練習機T-400(51-5058・美保基地第41教育飛行隊)。

 さらに、航空自衛隊入間基地の飛行点検隊のU-125(39-3042)。地味な部隊だが、全国の電子航法施設全般の点検を主任務とする、裏方ではあるが欠くことのできない重要な部隊の航空機である。まぁ、個人的にはYS-11の方に来てほしかったが(笑)。

 次は背中に乗せた円盤(ロートドーム)が特徴的な三沢基地第601飛行隊の早期警戒機E-2C(34-3453)、領空侵犯し函館空港に強行着陸した、旧ソビエトのべレンコ中尉のMig-25戦闘機での亡命事件により露呈した、低空の飛行体に対する既存レーダーサイトの検出能力の不足と迎撃したF-4EJのFCSのルックダウン能力の不足を補う事を目的の一つとして導入された機体で、海上に進出して広範囲の索敵と要撃機の誘導等を行う事を目的とした機体である。航空自衛隊では少数派の米海軍機ベースの機体である(F-4EJは米空軍機のF-4Eをベースとしたものだが、F-4(F4H)自体は米海軍で開発したものなので微妙といえば微妙な言い回しではあるのだが)。

 隣は、多用途支援機U-4(95-3254・入間基地・航空総隊司令部飛行隊)、ビジネスジェット機のガルフストリームⅣと言った方が通りが良いかもしれない。夏に福田前首相が北京五輪に乗って行ってちょっとした話題となった(政府専用機より経済的だとか自衛隊機の中国初着陸だとかうんちゃらかんちゃら・そういや麻生現首相も外相時代に韓国まで乗っけてもらってたな)。まぁ多用途支援機の名前の通り、VIP輸送から物資輸送まで、やることはいろいろ。なので普通のビジネスジェットなら窓が並ぶはずの所にでっかいカーゴドアが付いていたりする。まぁ大きい組織だと何でも屋っていうのは必ず必要になる(余り優遇されることは無いのが常だが)。

 そして地上展示の最北端のスペースには、現用の輸送機2機、このエリアは、滑走路側にも通路が設けられ、機体後方からカーゴドアを覗き込めるようになっていた。

 先ずは、国産の川崎C-1(68-1019・入間基地・第402飛行隊)、多重フラップや境界層噴出し等、当時としては先端のSTOL技術を投入し、日本の小さい基地・空港での運用を重視した機体だったが、その後の運用環境の変化により、開発当初は重視されていなかった航続力・搭載力での能力不足が顕在化し(硫黄島まで訓練支援要員/物資を運ぶとか、海外で輸送支援任務に従事するなんてミッションは開発時点では想定されていなかったのだから後付で欠点としてあげつらわれるのはとっても可哀想なのだが)、結果として航空自衛隊は隣に並ぶC-1よりも開発時期の古いターボプロップ機のC-130Hの導入を選択せざるをえなかったという経緯がある。現在、このC-1は耐用年数に近づきつつあり、後継機となる国産の輸送機C-Xが開発途上にある、オンスケジュールであれば既に初飛行をしていたはずだが、静荷重試験で機体の一部に強度不足が発見され、その対策等のため現時点での開発の進捗は地上滑走までに留まっている。このC-Xも『旅客機並の速度で長距離を飛行することで海外展開時や国内の長距離飛行時に民間の航空路を制約無く使えるようにする(ターボプロップのC-130にはこれが出来ない)、そのために強力なターボファンエンジンを搭載する、そのエンジンの強力な推力を離陸に使うことで力ずくでC-1並のSTOL性を確保する』というかなり乱暴な飛行機なので出来上がりが楽しみといえぱ楽しみである。

 最北端にはC-130H(45-1073・小牧基地・第1輸送航空隊第401飛行隊)、こちらは観閲飛行に飛来したイラク派遣仕様の青みがかった灰色ではなく、濃い緑の自衛隊の標準塗装。C-1ともどもカーゴドアを開けての展示だが、両機でドアの構造が全く違うのも面白い。

 滑走路側をぐるっと廻って、とりあえず地上展示機は完撮。その後、未だ見ていない、南側のハンガー(格納庫)内の装備品展示エリアに行く。輸送機に搭載できる重症患者輸送用でICU並みの装備を詰め込んだ『機動衛生ユニット』とか、肩撃ち式の対空誘導弾(対空ロケットランチャー)とか、対空機関砲とか、航空機としては3機が兵装とともに展示。

 先ずはF-4EJ改(63-8378・新田原基地・301飛行隊)、中射程AAMを胴体下に4発、短射程AAMを翼下内側パイロンの左右に2発計4発、翼下内側パイロン中央には500lb爆弾3発左右計6発、翼下外側パイロンには370gal増槽を左右計2本、胴体中央パイロンに600gal増槽を1本というフル装備、戦術上こういう形態で飛ぶ必要性があるのかどうかは置いておいて、まぁド迫力であることには違いない。
 周囲には対艦誘導弾(ASM)と搭載するJ-79ターボジェットエンジンの展示。

 次はF-2A(63-8538・築城基地・第8航空団第6航空隊)、対艦誘導弾(ASM-2)を翼下外側と中央のパイロンに各1発左右計4発と、翼端のステーションに国産の短距離AAM-3を各1発左右計2発、主翼下内側パイロンに600gal増槽を左右各1個計2個という、対艦攻撃仕様。F-2という飛行機は良くも悪くもこの形態のために作られたと言っても過言では無いわけで、まぁ当然のディスプレイといったところだろう。他には精密誘導装置を取り付けた500lb誘導爆弾、3個ラックに搭載した500lb通常爆弾、中射程AAM(AIM-7スパロー)、短射程AAM(AIM-9Lサイドワインダー)、20mm機銃弾、CBU-87/Bクラスター爆弾、搭載するF110-IHI-129低バイパスターボファンエンジンが展示されていた。

 クラスター爆弾については、戦闘後に残存した不発弾による民間人の被害が後を絶たないことから、国際的に規制の動きがあり、日本政府もこれに一定の理解を示しつつも現時点では自国が保有するクラスター爆弾に対する態度は明確にしていない。そういった周囲の複雑な状況にも関わらず、『現時点での装備品』として隠さずちゃんと展示していた事については一定の評価をしたいと思うし、せっかくの機会なのだから、防衛庁が使用後の被害を防止する「無力化能力」を持つクラスター爆弾の研究に着手していることを、現用しているクラスター爆弾の問題点とも併せて広報しておいても良かったのではないかとも思う。
 とりあえず『日本は現在、人道的見地から国際的に規制される対象となりうるクラスター爆弾を保有し運用しています』という点は、クラスター爆弾の是非に対してどうのこうの言う以前に事実として押さえておかなければならないことだ。

 さて、ちょっと脱線したが、最後の1機はF-15J(12-8294・第6航空団 第303飛行隊)、センタータンク1本に中射程AAMを胴体下部に4発、短射程AAMを主翼下のパイロンの左右に各1発計4発という制空仕様。これもF-15の主たる用途からすれば当然と言える形態。
 ただ、こちらにもさりげなくCBU-87/Bクラスター爆弾や500lb精密誘導爆弾等が展示されていた。こちらもF100-IHI-220E低バイパスターボファンエンジン単体での展示もあり。

 最後に並ぶのは訓練支援用の各種機材、航空機投下型の海上標的とか、航空機牽行型の空中標的とか。

 とりあえずこれで一巡したのでゆっくりと帰途につく、駐車場へのバスも待ち時間は気にするほどでもなく、ゆっくり座れて快適。

 地上展示機のお帰りを待つという、エアちゃん的な選択肢が無い訳では無いが、鹿島鉄道の廃線跡めぐりへ向かうことにする。

 ブログとしては余りに長文で、写真や資料との照合などで仕上がりまでに一月もかかってしまったので、鹿島鉄道廃線跡編はまた、別項ということで。

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