茨城県民の日(茨城県民の歌)(11/13)2008年11月13日 23:59

 茨城県民の日ということで、まぁ、小中学校・県立高校は11/13は当然お休みだったのだが、某国立高専在学当時、この日だけは「国立」が恨めしかった事を覚えている(当然この日はちゃんと授業がありました)。

 『茨城県民の歌』だが、小中学校時代、我々の世代は基本的に歌わせられていたように思う。なにかにつけて歌わせられた記憶がある。今でもソラで3番まで歌える。茨城国体とかち合った時代だったからかも知れない。そういや『茨城国体音頭』ってのも有った。
 『茨城県民体操』はまぁデフォルトってことで。

 さて、その茨城県民の歌、茨城県のホームページで聞く事ができる。
  >> http://www.pref.ibaraki.jp/profile/kenminsong.mp3

 聞く事ができるんだが、ここで一年遅れの「初音ミク」のネタに持っていく。(「初音ミク」についてはこちらを>> http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%9D%E9%9F%B3%E3%83%9F%E3%82%AF )

『初音ミクに「茨城県民の歌」を歌わせてみた』

  >> http://www.nicovideo.jp/watch/sm2029428
  >> http://jp.youtube.com/watch?v=72ppwX1yTao&feature=related

 どうよ、どうなのよ、茨城県庁、いっそ差し替えちゃった方がよぐね?
 話題性って点では遅きに失してるけどさ。

 いや、このUp主の初音ミクの調教がかなり上手いのは認めるけど、いくら神調教が相手だからといって、公式の音声ファイルより、明らかに初音ミクの歌の方が聞きやすいし、きれいだってのはなんだかなぁ。
 音源が古いとか色々あるんだろうけれど一度今風にアレンジしなおしてみたらいいかも知れないねぇ。

 かく言うおいらは、X-1(爆)時代(1985年頃)にBASICで制御できた内蔵のFM音源に手を出したり、PC98時代に『ミュー次郎』とかに手を出していたりするんだけれども(苦笑)、それは、「手先が不器用で楽器が苦手な俺もDTMなら関係ない」という思い込みで手を出したんだけれども(笑)、音楽をプレイするのに必要なのは『根気』ですという事を思い知らされて玉砕しております。

 そんでも、売り場でふと立ち止まってパッケージずっと見つめちゃうんだよね。しょうこりもなくいつか買ってしまうかもしれません。

バタバタ出勤(何故か見れない湊線)。退勤後に月虹舎とちょっと買い物。(11/19)2008年11月19日 22:58

 眠剤の切れが悪く起床に苦しむ。
 昨日、何時もより10分ほど遅く出たら何時もより10分以上余計にかかり、普段は30分近くあるはずの始業までの余裕時間が殆ど無かったので、通常のシリアルでの朝食の時間を惜しみ、特売の時に箱買いしてあるカロリーメイトを1箱取って玄関を飛び出す。寒い。
 エンジンをかけ車の時計を確認、通常の出発目標時間の3分前。
 携帯のジャックにFMトランスミッターのプラグを差し込み、適当な音楽をかけ、カロリーメイトの箱を開け1つめのブロックを口に放り込んでから、サイドをリリースしローに放り込んでクラッチミート。寒くても充分な暖気なんてしてもらえない可哀想な初号機(こんなことだからオイルが上るようになっちゃうんだよな・まぁ現在185400km強無理も無いが)。

 信号待ちの合間合間に二つ目、三つ目とカロリーメイトのブロックを口に運ぶ、今朝は流れがなんだか良い。勝田駅西口には8時過ぎ頃差し掛かる。旧型車の勝田0755着0806発の運用を見れるかなといつも思うのだが、実はこの時間帯、0755~0805は4番線に、3番線に0802に着く小山からの勝田止まりを待つ高萩行きE531系10両編成の在線があり、更に2番線にも0806~0807に415系の水戸行きが居るという具合で悲しいかな1番線に居るはずの旧型車2両は余程タイミングが良く無いと遭遇できない。

 会社の駐車場の所定の場所に車を放り込み、職場まで約15分弱の距離を歩き出す。無駄にでかい敷地も考え物だ。それにしてもやはり寒い。自然と早足になる。コートをひっかけてくるべきだったか。だが、それは12月までは我慢したい。そうしないと真冬が一層厳しくなってしまう。なんのかんので今朝は何時もよりも10分ほど早く席に着くことが出来た。一昨年3月に今の執務場所に引っ越して以来どうも未だに通勤時間の勘所が掴めていない。所用時間のバラツキが大きいのでどうしても早めに家を出るという安全側に倒すしかないのだが。

 総務省だかなんだかの音頭による『家庭の日』だかなんだかで、会社側が言うには今日11月19日は問答無用で定時で帰れという。

 定時で退けて、水戸の泉町の『アートスペース月虹舎( http://www.infonet.co.jp/apt/March/space/Gekkousya.html )』に向かう。
 12月6日(土)・7(日)に鉾田駅跡地に留置しているキハ601の車内で実施する。『演劇班赤眼鏡( http://akamegane.michikusa.jp/ )』の公演『Railroad Theater( http://akamegane.michikusa.jp/rail/index.html )』で使用する照明機材等借用予定の物品と搬出・返却日程の打ち合わせと、置いてもらっている宣伝用のチラシを先にデータだけ送ってもらって鉾田駅保存会側で暫定準備したインクジェットプリント板から、演劇班赤眼鏡さんからいただいた正規印刷版への差し替えを済ませる。
 『月虹舎( http://www.infonet.co.jp/apt/March/Gekkousya/index.html )』は1984年から活動している水戸の市民劇団(前身の三月劇場( http://www.infonet.co.jp/apt/March/stage/Mito.html )の創設は1980年)で、1985年10月の公演を初見した後、1986年11月のつくばでの公演から本格的に参加し(演出用の自動発火装置製作+その他大勢)、以来技術系裏方(調光器製作・照明担当等)兼助演者兼設営支援メンバーという形で関わってきていて、1991年には助演者の一人として水戸芸術館のACM劇場(円形劇場)の板を踏んだりもしている。

 泉町の『アートスペース月虹舎』では、日程が今回の鉾田での公演と被ってしまうのだが、12月7日に、『映像納豆際( http://www.infonet.co.jp/apt/March/QMF/theater/Nattousai/08.html )』が開催される事になっている。
 『映像納豆祭は 誰もが参加できる 無資格+無審査のインディーズムービー(自主制作映画)上映会ですもっとほかの誰かに見てほしい な作品を募集しています』
 とのことなので、水戸近郊の自主映像製作をされてる方や映像作品に興味のある方は訪問してみてはどうかと思う。

 その後国道50号パイパスの南海部品(オートバイ用品店)へ。発電機の不具合修理のため、キャブレターのジェットとスロットルアーム角度とスプリング位置の調整をせねばならないのだが、先ずジェットのセッティングをするために必要な特殊な形状のドライバーが見つからず( 一時期エンデューロマシンやモトクロッサー等を持っていたので1階のガレージの何処かにはその時使っていた専用工具があるはずなのだがなにせ引っ越してきてから一度も使っていないので何処にあるか全く不明のため )、千円ちょっとのものなので買うことにした。買おうと思ってからが大変で、ホームセンターやカー用品店では見つからず、キャブと言ったらやはりバイクかなということで、行ってみたところ、お目当てのものが見つかった。その後帰宅。

 朝が朝たったし、昼は午後の眠気対策で抜いているので、少しカロリー不足気味なので、サトウのごはんを2パックとレトルトのカレーを2パック、電子レンジ加熱と煮沸を平行して5分間。完食してからいつもと同様にヨーグルト500gパックを腹に入れる。

 その後眠剤を投入して、ブログ作成。

湊線、今日も見れず(11/20)2008年11月20日 23:59

 昨日も起床に苦しんだので、眠剤を昨晩より早めに投入したのだが、その後ブログの作成等等で若干夜更かししてしまい、結果として今度は寝不足で今朝も起床に苦しむ。
 昨日と同様、シリアルでの朝食の時間を惜しみ、先に常用薬を飲んで、カロリーメイト一箱を持ってあわただしく玄関を出る。寒い。昨日よりも寒い。昨日よりは若干エンジン始動から走り始めるまでに時間をかけたが、全体としてどうも余り関心しないパターンになりつつある。道々信号待ち等でカロリーメイトを口に運び、一箱を完食。

 今朝は昨日よりも更に流れが良く、8時前には勝田駅西口を通過するが、4番線に0755~0805まで停車している323Mに加えて、0758~0759に2番線に居る14M(スーパーひたち14号)にも見事にかぶられて、1番線に居るはずの勝田0755着0806発のひたちなか海浜鉄道の旧型車の運用はまたもや遭遇できず。

 昨日よりも寒い感じなので、駐車場から職場まで10分強をせかせかと早歩き、結果として始業の30分近く前には着席。

 今日は2週に一度の通院日なので、フレックスで30分早めに退勤、かかりつけの医者のあるけやき台まで、勝田橋経由で車を走らせる。診療時間の10分前には受付を済ませる。今日は診察待ちの人がいつもよりもだいぶまばら。
 早く終わるかなと思ったら、やはりすぐに順番が来た。普段は予約時間(一番遅いのが1730~で予約はいつもこの枠にしている)より1時間~2時間くらい後までは待たされるのが普通なのだが、今日の診察はほぼ定刻。18時前に終了。
 まぁ、特にこれといった変化も無し。薬も従来通りだが、薬の副作用対策でもらっていた便秘薬はここのところ使っておらず、残薬もあるので切ってもらった。近くのかかりつけの薬局で薬を処方してもらい通院関連は完了。

 酒門のカワチで特売のチラシをチェックするが、来週月曜まで特にこれと言った安売り品は無く、夕食用の500gで100円の『トモエ北海道プレーンヨーグルト』を2個のみ買って離脱。
 その後R50バイパス経由でヤマダ電器へ。ポイントでインクジェット用の葉書100枚をポイントで購入。今度の鉾田の公演を『月虹舎』のコネクションで流してもらうためのもの。

 明日は人間ドックなので、20時までには食事と投薬をせねばならず、かといってここしばらくのヨーグルト500gだけの夕食にもちょっと飽きてきていたので、青柳の『まるくに(回転寿司)』に久々に行く。が光物では「あじ・いわし」が品切れ。結果「さば」と「はまち」を中心に10皿。とっとと完食。コンビニで「モーニング」をチェック後、帰宅。いつものようにヨーグルト500gと野菜ジュースを摂取して、投薬したところでタイムアップ。

 眠剤の投入時間が余りにも早かったので、案の定早く目が覚めてブログは翌朝3:30から記述開始。

人間ドックの前に湊線をちょっとだけ、鉾田での取材対応と、水戸駅南で中学同期との呑み会。(11/21)2008年11月21日 23:59

夕日とKR-505をなんとなくシンクロで
 今日は年休を取って『人間ドック』。今まで毎年毎年憂鬱な行事だったのだが、今年は違う。なんたって鉾田での草刈を始めとする肉体労働が効いており、体重は昨年比で確実に5kg以上減っている。それは、着衣にも如実に効果が出ており、新しいスーツのスラックスはのきなみベルトで締め上げないとずり落ちてしまうようになっているのだ。穿けなかった古いスラックスも穿けるようになっている。しかも酒もかなり控えているし、これで去年より悪い数値が出るとは思えない。『どんとこ~い』なんて気分で人間ドックに行くのは初めてのような気がする(笑)。

 ドックの受付は0755~0810。人間ドックなので朝飯は当然食べられない。とりあえずその分早めに出て、日工前辺りで勝田0755着の湊線の旧型車の2連運用のチェックをしてからドックに行く事にする。これは人間ドックの日程でのいつものパターン。
 かといってドックの間車に機材を置きっぱなしにするのも無用心なので、今日のカメラはいつも持ち歩いているコンデジのFinePixS8000fd。まぁ撮れてればいいやといういいかげんなノリ。
 日工前の脇の一方通行の道路のガードレールに寄せて車を止めると、すぐに踏切が鳴り出した。やってきたのは勝田方からキハ223とキハ2005の旧新茨城交通色コンビ。旧型車で『茨城交通色だけ』という組み合わせも、塗装変更車の方が多くなってしまった今となってはこのパターンしか有り得ないという事になっているのでそれはそれで貴重と言えば貴重と言えるのかも知れない。
 日工前ではそれなりに下車客がある。もともと日工前という駅は朝夕1本づつしか列車が停車しない駅だった。日立工機への通勤者への利便を図るための処置で、下車できるのは朝の勝田行きでは一番後ろの車両だけという形だった。時刻表にも掲載されておらず、定期券や乗車券自体も『日工前』という行き先は存在せず、阿字ヶ浦方から利用する場合にはその先の勝田までを買うというシステムだった。朝の4連運用の有った当時はホームの長さが足りないため、先頭の車両はホームの無い所に停車していた。当時の国土地理院の地形図では『ひたちこうきまえ』と記載され現駅名の『日工前』と異なっていたところも面白い。ある意味『まぼろしの駅』だったわけである。
 列車がまとまった本数停車するようになったのは10年前の平成10年12月8日の改正から、日工前独自の運賃が設定されたのもこのときが初めて。来月8日は日工前開業10周年ということになる。この日を境に日工前でのホームの有効長の制約と乗客減から、朝のラッシュ運用は4連から3連に短縮された。それも今は2連となってしまっている。

 とりあえず、線路脇の道路標識が無茶苦茶目障りな画を何枚か押さえる。まぁ行きがけの駄賃なんでこんなもん。

 親会社が直営している総合病院の中にある、人間ドック専用の施設で検診を受ける。100人弱の人間がそれぞれ番号を付けられ、カードを持たされて、番号がふられた各種検査室の間をアナウンスに告げられるまま午前中ずっと右往左往していると検診が終わる。このシステムで年間ざっと2万人くらいを検診するわけだ。
 しかし、どうしても胃部X線だけは苦痛だ。なんで言われるままにあんな硬い台の上でぐるぐる回らせられたり、頭を下にされて手すりに必死にしがみついたりしなけりゃならないんだ。アミューズメントパークのジェットコースターか何かみたいに体をしっかり固定してくれて勝手にぐるぐる回される方がなんぼか楽じゃねぇかと思うんだが(それだったら体勢の微調整とかでも「ちょっと左」、「もう少し」とかやらなくても技師さんもジョイスティック動かすだけで済んで楽だろうと思うのだが)。
 さらに言うと、今回の技師さんはサドっ気入って無かったから良かったけど、この人はサディストなんじゃないかと思える技師さんに何年かに一度当たる時があるんだよな。いや個人を特定して言ってる訳ではなくて、どちらかというとその時のおいらの気分の問題なんだとは思うんだけど。ま、とにかく、『胃部X線はだいきらいです』。後のバリウムで家のトイレの掃除をしなくちゃならないのも面倒だし(ぉぃ)。

 早めの昼食が出た後、検査結果を踏まえての医師との面談。ここで所見に拙いところがあると、更に看護士さんからの生活習慣等のご指導の面談が追加されることになっていて。ここ数年、いつもご指導が入っていたのだが、今回は無し。やはり、体重が落ちたことは多方面に渡ってはっきりと効果が出ていて、肝機能に至っては昨年のC判定が一気にA判定にまで改善。だが、尿酸値は依然下がらず。残念ながら、これからも醸造酒は摂取を自粛せねばならないようだ。

 その後、水戸市役所に寄り所用を済ませた後、鉾田へ。
 鉾田で、先日取材を受けた『常陽リビング( http://www.joyoliving.co.jp/ )』の担当の方から、保存車両をバックに『演劇班赤眼鏡( http://akamegane.michikusa.jp/ )』の担当の方と、『鉾田駅保存会( http://homepage3.nifty.com/hokota-station/ )』の広報担当の俺と画が欲しいということだったのだが、芝居とそれを演る『演劇班赤眼鏡』の担当の方のほうを前に出したいという点では、『常陽リビング』のご担当の方と意図が一致していたので、日程は『演劇班赤眼鏡』の担当の方優先で組んでもらっており、それが今日の午後。ドックと市役所で二重に時間が読めなかったので、とりあえず話しは俺無しということで進めてもらっていたのだが、結果としてはお二人より先に鉾田入りすることができてしまった。
 鉾田では、いつも花壇の手入れ等をお手伝いいただいているひたちなか市のボランティアの方が既に作業中。ここのところ平日に鉾田入りできる担当者が居なかったこともあり、本当に大助かり。
 こちらは準備してきた芝居のチラシをA3に拡大してラミネートした広報看板を、駅周囲のトラロープにタイラップで吊るす。
 その後撮影の事を考慮して、ブラインドを開け、見場の悪い表示看板類を一度外し、車内の資材の移動をしているところで、相次いでお二人が到着。その後取材対応を小一時間ほど。それから芝居会場に関する打ち合わせの後、車両の戸締り。いつものたいやき屋さんで蕎麦をすすってから、隣接する第一生命の営業所で、今回のイベントの保険の契約を済ませる。

 外に出てみると夕日がちょうど線路の延長線上に沈んでいく感じで、なんとなく雰囲気がよかったので、KR-505を夕日バックで少しコンデジで遊んでみる。ここしばらく真面目に撮りモードに入っていなかったせいもあって、コンデジしかないのにノッて来てしまい(笑)。結局日没過ぎまで、KRを撮って遊んでしまう。ただ、空気が澄んでいたのでお日様は夕日になっても輝度が落ちず、コンデジではかなりの苦戦になった。

 その後水戸駅南の中華料理屋へ向かう。中学の同期で水戸市周辺在住者での呑み会。町に一つしかない中学校でクラスも4クラスしか無かったということもあり、年に数回のペースだが、こうした集まりがある。
 車を駅南の通りの常陽銀行の斜向かいにあった手近なコイン駐車場に放り込んで、店の有るとおもしき辺りへ向けて歩き出したら、店を見つけた場所の直ぐ脇の駐車場の方が安かった。更に、ビジネスホテルのテナントということだったので無いと思っていた駐車場が実は有ったことが店に入ってからわかった(苦笑)。結果的に車で店を確認してから駐車すれば良かったのだが、どうも場所が判らないと、とりあえず車を置いて足で探すという反応が無意識にあるようで、結果的に損をしているケースが多いような気がする。まぁ、車運転しながら店とか探すのって気疲れするから、金銭的には損をしていても、精神的には健全な方向なのかも知れない。

 今回は参加者は少なめ。とはいえ、話しは弾む。初めて行った店だったが、思いのほか安くて料理も美味で良い店だった。
 一次会には間に合わなかったが、東京から特急で駆けつけた1名を待って二次会に向かう面々と店の前で別れ、こちらは代行を待つ。二次会以降も付き合いたいのはやまやまなのだが、明日は朝から職場の親睦会のスタッフをせねばならないのでここで深酒をするわけにもいかず、仕方が無い。既に充分酔ってしまっている。

 代行で千波大橋から梅香トンネル、万代橋経由で自宅まで。料金は2000円足らず。大工町から家までタクシーに乗るより安い計算で多少驚く。水戸駅南地区が家から意外と近いと感じた。色々と店もある地区だが、遠いという意識があり今まで積極的に使った事が少ない地区だったので、選択肢が一つ増えたような気がする。

 アルコールの代謝のために大量に水を飲んだ上で更にスポーツ飲料のペットボトルを飲み干して就寝準備完了。今の眠剤はアルコールと掛け合わせるとヤバイやつなので、眠気が来るまでブログ作成。今日はなんだかネタが多すぎて、途中で眠気が来てブログ完成は断念。翌朝まで、そのまま浅い眠りに就いた。

ひたちなか海浜鉄道湊線で国営ひたちなか海浜公園へ(11/22)2008年11月22日 23:59

ギャラリーとして整備されたケハ601
 浅い眠りから覚めて、出発の準備。未だ昨日の酒が少し残った状態。

 今日は国営ひたちなか海浜公園での会社の親睦会。事前に調べておくつもりだった、家から1km近く離れた国道118号のバス停を通る茨城交通の大宮営業所発・瓜連・水戸駅行きのバスの時刻が判らず、仕方が無いので隣に住む父に、勝田駅まで送ってもらった。
 家の最寄のバス停を通る茨城交通の路線は、水戸駅行きが日に1本のみとなったのに輪をかけて、そのたった1本のバスが土日祭日運休ということになってしまい全く使い物にならない。

 親睦会のために職場の前と勝田駅西口と寮・社宅の有る地区を経由してひたちなか海浜公園へ向かう専用バスが運行されるのだが、それに乗るのではヒネリが無いし(無理してヒネる必要があるのかと聞かれると困るのだが)、調べてみたら、ひたちなか海浜鉄道湊線の勝田発0845の列車に乗ると、阿字ヶ浦駅で、ひたちなか市が茨城交通に運行を委託している『あおぞらバス(100円バス)』が接続しており、海浜公園の現地集合時間に間に合いそうだという事が判った。せっかくなので使ってみようということである。

 先ずは勝田駅のJRの有人改札で『湊線の一日乗車券を買いたい』と申告したところ「湊線ホームの中間改札で購入してください」とのことで、JRの改札を通してくれた。エスカレータで1・2番線のホームに降り、1番線入口の中間改札で申告し、一日乗車券(800円)を発券してもらう。帰りも湊線を利用するつもりなので、片道570円の阿字ヶ浦まで行くと単純往復だけで340円もお得ということになる。

 車両はキハ3710-01。ひたちなか海浜鉄道のホームページ( http://www.hitachinaka-rail.co.jp/ )の記載では今日は新型車のみの運用とのこと。
 勝田からの乗車は15名ほど、日工前では動きが無く、金上では乗客の入れ替わりがあった。中根で下車客が居たのにはちょっとびっくり。中根駅には友部軌道のワゴン車が停まっており、踏切付近の線路敷きの除草作業中。
 那珂湊では10名ほどが下車。殿山では下車客があり、平磯では観光客と思えるご夫婦の乗車客があった。磯崎でも下車があり、終点阿字ヶ浦での下車は5人。
 阿字ヶ浦入駅時に駅舎の方を見ると、いつもはひっそりとしていて人気の無いはずの駅前になにやら人だかりができている。不思議に思いながら一日乗車券を運転士さんに提示して下車し、改札を抜けると、何故かそこには『ひたちなか海浜鉄道』の社長さんと、『おらが湊鉄道応援団』の団長さんと事務局長さん。とりあえず顔を覚えていただけているので会釈を交わす。お話しを訊いてみると桜の木の植樹のイベントが終わったところだそうで、なるほど見回せばスコップを担いだ方もいらっしゃった。折り返しの列車で磯崎に向かわれてそこでも植樹とのこと。
 社長さんは磯崎から乗車したご年配のご夫婦に『ひたちなか海浜公園』へのバス連絡の案内と降りるバス停の案内などを大変丁寧にしていらっしゃった。

 あおぞらバスだが、いつも4~5分遅れて来るようですとの社長さんの言葉通り、だいたいそのくらい遅れて来た。実は海浜公園中央口への集合時間が0930で、あおぞらバスは南口と西口にしか寄らないので、0922に南口で降りて中央口までの約800m程を8分で歩こうという全く余裕の無い計画を立てており、『こりゃあ遅刻だな』と腹をくくる。
 バスの車内は阿字ヶ浦駅から3人が乗り込み、ご年配のご夫婦が着席されるとほぼシートに空きが無い程度に乗車があった。
 席に空きが無い訳では無いのだけれど、せっかく一日乗車券があるのだし、帰りは撮りにまわろうかとか考えていたので、ニコンの24-70F2.8を付けたD3、とVR18-200を付けたS5Proに、ニコンの14-24F2.8、シグマの70-200F2.8と150-500OSという結構な大荷物を背負ってきており、これを抱えて人と人の間に尻を割り込ませるのもどうかと思い、どうせ下車は一番先になるだろうと前部降車ドアの前で立って行く事にする。
 車内を見回すが、低床にするための無理がかなり見受けられる構造で、前輪があるため運転席の左側は完全なデットスペースになってしまっている。後部もエンジンを収納するため雛段の様になっており、車のサイズと比較して座席定員がかなり少ない印象を受ける。想像していたよりも乗車率が高いのでなおさらなのかも知れないが。

 バスは阿字ヶ浦の踏切を渡り、次の信号を右折して阿字ヶ浦海岸へ下り坂を降りていく。眼前には太平洋が広がる。朝日を浴びて輝く穏やかな海は印象的だ。しかし、阿字ヶ浦の景色もひたちなか港の建設で大きく変わってしまった。遠浅の広大な砂浜が魅力だった阿字ヶ浦だったが、ひたちなか港の建設と河川の砂防工事等で久慈川・那珂川からの砂の供給に変化を生じたらしく、近年大幅に海岸線が後退し、砂浜が浸食され見る影も無くなってしまった。現在対策がとられつつあるが、効果の程は長いスパンで見てみないと判断できないだろう。自然を御すことなど所詮人間には出来ないのだということを実感させられる。

 坂を下りきった信号を左折して阿字ヶ浦の海岸線を北上し、次の信号で左折して片側二車線の広い道路の坂を上り、また海岸段丘の上に戻る。もう道路の右側は国営ひたちなか海浜公園の敷地である。

 降車ボタンを押して海浜公園南口で下車。時間を確認すると0929。そこからダッシュで中央口へ向かう。広大な駐車場の中の歩道を早歩きしていると遠くに会社のロゴの入った通勤バスが走って来るのが見えた。ラッキーなことにむこうも遅れているらしい。結果としてバス乗車組みの面々が到着する前に中央口の集合場所に到着。やれやれである。

 バークゴルフでのコンペの後、バーベキューガーデンでのバーベキューで昼食&呑み会というのが今回の親睦会の流れ、スタッフの我々はパークゴルフには参加せず、総務が準備したワゴン車で物資とともに海浜口から再入場してバーベキューの火起こしと食材・飲料の準備が仕事。ゴルフを終えて移動してくる参加者が着いたら直ぐにバーベキューを始められるように準備をするわけである。ちなみにかまどや鉄板は備え付けの物があり、炭も現地で買えるので、材料さえあれば他はほとんど手ぶらでバーベキューが出来るようになっている。60人程は楽に座れる大屋根付きのスペースを今回は利用した。鉄板が都合24枚並ぶかなり大掛かりなものだ。炭は持ち込みの方がコスト的に良いので大量に持ち込む。かまど1スペースに1台づつゲートでリヤカーを貸してくれるので、駐車場でリヤカーに材料・飲料・燃料等を積み込み、車列を作ってバーベキューガーデンに向かう。

 煤まみれになった以外には特に大過なく準備を終え、食材もなんとか間に合って、一息ついた所で、前の部署では「先にはじめてますか」という意味の慣用句だったはずの『じゃあ予備励磁かけときますか』と言ったら、他のスタッフには全然通じなかった。そうだよなぁ今はVVVFだもんなぁ。直流電動機の予備励磁なんて通じないよなぁ。自分の人間の古さを感じて遠い目になってしまう。

 とりあえず、チューハイの缶を一つ開けたところで最初にホールアウトした組がやってきた。その後は次々にやってくる参加者にビールやつまみ等を次々に手渡し結構忙しくなる。参加者全員が揃ったところで乾杯。これでスタッフワークから一旦開放されこちらもバーベキューに舌鼓をうつ。ここのところ、食費圧縮と眠気対策とカロリーコントロールのため、昼は抜きで、朝のシリアル&リポDと夜のヨーグルト&野菜ジュースのみという食生活(ミネラル・ビタミン類はサプリメントで補完)をしているので、ちゃんとした肉は久しぶりな感じがする。

 パークゴルフの表彰式に続いて三本締めで親睦会は終了。その後片付けにかかる。鉄板の洗浄、かまどの火の始末と灰掃除等を終えて、荷物を再びリヤカーに積み込み海浜口まで戻る。荷物をワゴン車に積み込んでスタッフとしての仕事は終了。予定よりも時間がかかっていることにこの時は気がつかなかった。海浜口を出る時にもらっていた再入場用の入場券で再度入場し、公園内を歩いて南口へと向かう。南口では茨城交通の勝田駅方面行きが停車中。とりあえずバス停に近づいていくといきなりドアが閉まって発車。時刻表と時計を見たら1分ほど早発気味。
 まぁもともと茨城交通のバスには乗るつもりが無かったので構わないのだが、バス停に近づいてくる人が注意していれば見えるところに居るのにそれを確認もせず発車してしまうのはどうかと思う。待てば乗ったかも知れない客を逃しているように思える。そういう所を意識改革していかないと茨城交通は今の窮状から抜け出せないのではないだろうか。会社全体から『使ってもらえるバスになろう』という意欲がどうも感じられないのは気のせいなのだろうか。

 阿字ヶ浦へ向かう『あおぞらバス』は適当な時間のものが無かったので、南口から出て阿字ヶ浦駅へ約2km強をてくてくと歩き出す。もともと学生時代から自家用車やバイクでしょっちゅう通っていたエリアで土地勘はあるので特に問題もなく阿字ヶ浦駅に到着。駅で時刻表を確認すると列車は5分ほど前に出たところで、次の列車は約35分後の1523発。
 阿字ヶ浦に留置中のキハ201とキハ221は変わらず。両方ともかなり可哀想な状態であるのは確か。光線状態が良い時期と時間なので、とりあえずカメラを取り出し、撮影しはじめる。
 1507定刻でキハ37100-03が入線。とりあえず、入線を撮ってから踏切を渡り反対側の路地から順光で焦点距離を変えながら撮影。陽の低いこの時期はコンクリートの給水塔の影が車体後部に落ちてしまうのが難点。
 一通りの撮影の後、発車時間も近づいてきたので乗車する。キハ37100-03に乗るのは初めてでは無いが、じっくりと車内を見回してみると、やはり型式が異なるだけあって、細かい所でキハ3710-01・02と異なる箇所がある。各客室ドアに手動開閉用のスイッチ(ボタン)が付いていること(車体の外側に開ボタン・内側には開/閉の二つのボタン)に恥ずかしながら今回初めて気がついた。これからの寒い時期には有り難い装備だが、これは実際に使っているのだろうか?他の新型車2両には無い装備なので混乱を避けて使用していないことも考えられるのだが。

 定刻に発車し、小春日和の中を那珂湊へ向かう。きもちが良くて那珂湊手前でうとうとしてしまい。那珂湊停車のドア開で目が覚め、あわてて降りる。一日乗車券を提示して下車。
 『おらが湊鉄道応援団』のブースでは、スタッフの方が観光客の案内に忙しそう。
 ギャラリーとして整備されたケハ601の方へ行く途中、ちょこちょこといつもの風景をスナップしながら歩く。モルタルの黄色い壁の日本通運の営業所と荷受所の佇まいはいつもながらフォトジェニックだ。何度も撮っているのに前を通るとまたカメラを向けてしまう。那珂湊の駅舎や木造車庫、ホームの大屋根もそうだが、できることならずっと残してほしい建築物である。中線のケキ102やモーターカー、側線のホキや97式軽貨車、本線越しに留置中のキハ202~4やケハ601の遠景等をスナップしながら、駅の西側の踏切を渡り、ケハ601へ向かう。
 ケハ601は来るたびにあちこち手が入れられている。ヘッドライトと尾灯の開口部には車体色に合わせた銀色の塞ぎ板が取り付けられ、一部残っているロングシートのモケットはビニールレザーに張り替えられている。今回も運転台でなにやら作業中の様子。

 さて、キハではなくケハである。キハの『キ』は『気動車』又は『揮発油(ガソリン)』の『キ』、『ケ』は・・・『軽油(ディーゼル)』の『ケ』なのである。ケキは『軽油(ディーゼル)』の『機関車』ということなのであろう。ちなみにキハ601だと、うちの会で保存している鹿島鉄道の車両になってしまう(笑)。601繋がりでNikonのF-601でも中古で買ってしまおうか(笑)。
 ケハ601の導入あたりまでは茨城交通のディーゼル動車は『ケハ』を名乗っていたが、この後1970年ごろに続々と転入してきた北海道の炭鉱鉄道の車両8両がみな、『キハ』を名乗っており、導入にあたって車番の変更をせずにそのままとしたことから、茨城交通は『ケハ』が一気に少数派となった。更に国鉄からキハ11を3両転入させた際には、形式は改めること無く、番号順にキハ111~3とし、この時点で『ケハ601』は『ケハ』を名乗る最後の存在となっていた。これは鹿島臨海鉄道から2001~2004の譲渡を受けた際にもキハ201~4として踏襲された(但し末尾の番号は両社で合致していない)。
 そして、ケハ601以来の新造車両となったキハ3710-01が『キハ』を名乗ったことで、茨城交通の『ケ』の歴史には決定的なピリオドが打たれることになる。頑なに全部『ケ』で通していたらそれはそれで面白かっただろうとは思うのだが、この辺は細かいことに余り頓着しない湊線のおおらかさが良くでている事例の様な気がしている。

 もう店仕舞いの頃合のケハ601の車内では、応援団の団長さんをはじめ、数名の方々が作業中。とりあえず挨拶をした後、来訪者名簿に記名する。しばらく雑談をしていると、ひたちなか海浜鉄道の社長さんが自転車で登場。どうやら様子を見にいらっしゃった様だったが、休日返上で朝から本当にまめなことで頭をさげるしかない。

 しばらくして作業も一段落がついた様で、ケハ601の戸締りを眺めて駅の北側の路地を駅の東側の踏切へと向かう。
 途中、線路脇に扉こそシャッターになって趣を多少損ねてはいるもののレンガ造りで紅葉した蔦を纏った倉庫があるので、これもスナップ。

 駅に戻り、レンズを広角の14-24に付け替え、待合室の様子やホームの様子等をちょっと強引な画角で撮影。1番線に入線して来たのは那珂湊発1646のキハ37100-03、撮影後乗車する。

 勝田入駅直前に眼前を勝田発1658の常磐線の上り列車が通過する。こちらの勝田着は1700。タッチの差で接続していないようだ。次の列車は15分後の1715発の水戸行き。とりあえず一度一日乗車券でJRの改札を出て、モバイルSuicaで入りなおす。再び1・2番線に降りて、1番線停車中のキハ37100-03を数カット撮影。1510着の列車を待って乗車。415系1500番台の4両編成が8両停目で停車し、仙台方に4両編成を増結して1515に発車。
 水戸の到着番線は下りホームの3番線。
 改札を抜け、そのまま駅ビルのEXCEL5階の川又書店に行き、昨日発売だった鉄道雑誌をまとめ買い(『鉄道ビクトリアル』『鉄道ファン』『鉄道ジャーナル』『とれいん』『RailMagazine』『JR時刻表』『日本鉄道旅行地図帳』)。その後、カメラ・航空関連の雑誌の内容チェック。
 その後水戸発1845の茨城交通の瓜連・大宮営業所行き最終バスに乗車し、家から1kmほど離れた118号国道上のバス停で下車し、そこから徒歩で帰宅。

 なんやかやで結構歩いた一日だった。

鉾田駅跡地で車両の保存活動(11/23)2008年11月23日 23:59

 昨日の酒は呑んだ時間が昼までだったので残る事も無く通常の起床。
 他の二名に渡す鉾田駅保存会の公式名刺や、工具類等の準備をして9時頃に初号機で家を出る。
 燃料価格が依然として下落傾向であり、かつ、残量が充分なレベルにあるので、今は買い時では無いと見込み、今回は途中のスタンドでの軽油の調達を見送る。

 集合予定の10時前には現地入り すでにNさんが先着済み。先ずはNさんの分の名刺を手渡す。
 トイレの開錠、キハ601の開錠と側窓のブラインドの開放、中央ドアの開扉等、一連の朝の準備作業。
 
 今回はLLC(ロング・ライフ・クーラント)の18リットル缶3(計54リットル)缶を調達できたので、先ずはキハ601の機関冷却水の充填作業から。使っていない5リットルのオイルジョッキを持ってきていたので、これで5リットルづつ混合して順次投入することにする。LLCの混合比は鉾田の観測記録上の最低気温が-10.6℃なので、最低レンジ(-15℃まで)の30%で行く事にする。取説の記載では30%より低い値の記載が無いが、これより薄い場合には防錆効果等も期待できないということを意味しているのだろう。まぁ、30%は想定される環境条件においては一番薄くて経済的な混合比ということになる。オイルジョッキのだいたい1.5リットル+αくらいの所にマジックで線を引いて、線までLLCを注ぎ、5リットルになるまでホースで水道水を足す。作業は全部Nさん任せでおいらは充填回数を正の字書いて数えるだけ(笑)。
 途中エンジン本体の冷却水流路のエア抜きのパイプからLLCの流出が始まったので、あわてて床下に潜りバルブを閉じて充填再開。
 31回155リットルでLLCが尽きる。30%であれば180リットルできなければいけなかったのだが、+αした分が結構効いてしまったようだ。計算してみると結果として35%近い濃度になってしまったようだ。
 この時点では給水口脇のパイプからのオーバーフローは確認できず、更なる冷却水の充填が必要になる。春の冷却水充填時におおまかに計った冷却水容量は200リットル程度だったので、事前に分かってはいたことだが、18リットル缶をもう一缶程度調達する必要がありそうだ。

 その後Nさんは、予てから懸案だったキハ601車内の鉄道模型展示台の拡幅(HOゲージ対応化)工事に着手。既に材料も一通り揃えてあって気合が入っている。先ずは中央扉の脇にアルミの幅広の脚立(RV車の洗車に使う様なやつ)を置き、その上に二人がかりで車内からエンジン発電機を運び出し設置する。地面まで下ろしてしまうと撤収時に持ち上げるのが大変なのだ。とりあえず、これで電動工具類が使える。

 KR-505の方に行こうとした所で、気がつくと知った顔がこちらに歩いてくる。日本ナショナルトラスト会員のMさん。10月の日本鉄道保存協会への参加の際に、事務局さんへのツナギをお願いした方で、様子を見にきていただけたようだ。
 更にもう一方、千葉からいらっしゃったSさん。ボランティアでお手伝いいただけるとのこと。大変有り難いことだ。
 先ずはKR-505の維持運転を始めなければならないので、そのお手伝いをお願いする。こちらはヘルメットを付けていっしょに敷地西端に止めてあるKR-505へ向かう。
 先ずは安全な場所に離れていてもらって、手歯止めを確認し、KR-505の鍵を開け、手ブレーキが引いてあること、両運転台の緊急ブレーキスイッチが引かれていること、前後進切換スイッチと変速機がともに中立位置にあること、更に計器盤でブレーキシリンダに圧が残っているのを確認した後、バッテリスイッチを投入して動作音を確認し、一度下に下り、エンジンを始動。いつもの様に一発で起動。空気圧が上り、アイドリングが安定するのを待って、お二人には車内に入ってもらい、閉めてあるカーテンを開ける作業等をお手伝いいただく。

 なんやかやで、お昼近くになり、KR-505を施錠してキハ601の方へ戻り、Nさんの作業の切りの良いところを見計らってお昼にする。13時のバスに乗って水戸に向かわれるMさんは、お昼は持ってきているとのことだったので、これ幸いとキハ601でのお留守番をお願いしてしまう。

 今日はいつものたい焼き屋(お蕎麦屋)さんはお休みなので、県道沿いのラーメン屋さんへ。席を占めたとたんに混み出してびっくりしたが、特にオーダーが遅くなるような事は無かった。
 キハ601に戻り、Mさんを見送り、SさんにはNさんの作業のサポートをお願いして、こちらは電線、蓑虫クリップ付き試験用電線、デジタルマルチメータ等と鹿島鉄道さんから譲っていただいたKR-505の取扱説明書等の資料を準備してKR-505へ車で移動。懸案の不具合箇所の確認に着手。エンジンを停止してバッテリを生かしたり殺したりしながら、両車端の継電器盤と端子台の怪しい箇所の導通チェックと電圧チェック。

 しばらくしてほぼ原因が特定できた頃、車の音がしたので立ち上がってみると、現在県外に長期出張中のOさん。一時帰宅の限られた時間を割いて様子を見に来てくれたようだ。これ幸いとOさんの分の名刺を手渡す。その後短時間の打ち合わせ。それから、エンジンをかけた状態で応急処置での動作確認にも立ち会ってもらう。とりあえず故障箇所の抽出と応急処置はできた。特に問題は無さそう。重大な故障でなくて本当に良かった。

 その後Oさんを見送り、再度KR-505を施錠してキハ601に戻り、Nさんから運転台のキセ類の止めネジを渡してもらって再度KRへ。
 Nさんの作業も順調のようだ。

 先月、雨水が浸入して池のようになっているのが見つかった鉾田方出入台脇の角の曲面ガラスの下部、始めはキセとガラスの間に空間があったため、ガラスに結露した水滴が滴下して蒸発できずに溜まったのかと考えたが、水を除去した翌週に再度水が溜まっているだけでなく、妻部の機器類に結露が見られるのが確認され、これは雨水の浸入しか考えられないということになり、先々週にNさんが曲面ガラス上部でシールが劣化しているのを見つけシール剤で補修を行った。その後先週、今日と確認を行い、補修により雨水の浸入防止ができた事が確認できたので、今日は来週の一般公開にむけて確認のため外してあったガラス下とガラス周囲のキセの取り付け作業を行った。

 その後KR-505のカーテン等を閉め、エンジンを停止し、バッテリスイッチを切り、施錠をして機材を車に積み込みキハ601に戻る。
 つくばからいつも来ていただいているTさんがお子さん二人といっしょにいらしていて、しばし現況等について雑談。
 Nさんの作業もSさんのご助力を得て無事終了したようだ。

 あっと言う間に暗くなり、宵の明星と木星が南西の空に輝きだす。
 車を移動してキハ601に向けてヘッドライトとフォグランプを点等し照明にする。エンジン発電機を車内に収納し、車内の片付け、ブラインド降ろし等の作業をするともうとっぷりと陽が暮れていた。

 Nさんと打ち合わせの後、解散。国道51号で帰途に就くが、対向車線の車が流れてはいるものの異様に多い。嫌な予感は的中して、国道245号との交差点手前で渋滞が始まる。大洗からの大量の車が原因らしいと分かったので、渋滞原因は大洗と那珂湊から水戸大洗インター又は国道6号・50号への車と見切り、多少遠回りになるが、245号へ右折して湊大橋を渡るルートを選択したところ50号の右折車線の時点からガラガラで大正解だった。

 保存会の方のブログに手を付けるが、眠剤が効いて来て轟沈。

ひたちなか海浜鉄道、今日も確認できず。(11/24)2008年11月24日 23:59

 今日は勤労感謝の日の振り替え休日でお休みなのが世間一般なのだが、弊社は出勤日。この分の休みは年末年始の休みに振りかえられている。『この不景気でも勤労できる事に感謝して働く日』なのである。

 ほぼ出発予定時刻に家を出る、が、異様に車の流れが良い、と感じた辺りでやっと今日が世間一般では休みであることを思い出すのだからいいかげんボケている。

 2両なら1両は頭が見えるはずの湊線だが、休日は単行なので4番線のE531の10連にまともにかぶられて確認できず。見えたとしても今日は両方新型の日なので遠目では車番の同定は不可能ではあるのだが。

 定時で離脱。

 帰宅後遅れているブログに手をつけるが、長文を書いているうちに眠剤が効きはじめ轟沈。

沈没(11/29)2008年11月29日 23:59

 昨日に引き続きの体調不良、覚醒はしているのだが、ベットから動けず。明日の鉾田でのイベントもあるので無理をせず体力を温存。無為に一日を過ごした。

【鉾田駅保存会】第6回車両公開イベント実施(11/30)2008年11月30日 23:59

 調子は良く無いがとにかく起きる。
 隣の実家から甥っ子用に買ってあるプラレール一式の入ったプラスチックカートン3個を引っ張り出し、今の家を建てる前に那珂湊に居た時に使っていた絨毯をガレージの天袋から引きずり出して初号機につめしこむ。
 今日は鉾田駅でのキハ601とKR-505の車両公開イベント。平日の通勤よりは若干遅めの8時すこし前に家を出発。鉾田入りは9時前。

 鉾田駅跡地に着くとNさんが先着しており、キハ601の車内から昇降用の階段を引っ張り出しているところ。タッチの差で車両からの階段の搬出は手伝えず、収納場所の石岡側側扉から設置場所の中央側扉への移動のみのヘルプ。次はトイレの開錠、使用停止の鎖を外し、使用可能の看板をかける。

 その後手分けして11時からの車両公開イベントの準備。先ずは10時のホーム入線に向けて暖気運転のため、KR-505に向かう。鍵を開け、手ブレーキ、手歯止め、緊急ブレーキSW等の転動防止処置がとられていることを確認して、バッテリを生かし、下に降りてガバナを操作しスタータを回してエンジンを起動する。いつも通りの一発始動。空気圧が上り、エンジンの回転が安定したことを確認してKR-505を一旦施錠し、キハ601に戻る。
 キハ601客室内の物資で、梯子や脚立、電動工具など車両公開に必要ないものは、鉾田方運転台に集約し鉾田側客室には持参の絨毯を敷き、プラレールのカートンを車内に搬入して、子供向けのプラレール遊びコーナーを準備する。
 Nさんは今日に向けて完成させた力作のHOのキハ601etcを走らせるべく、鉄道模型展示台のHOトラック対応拡幅改造の最後の仕上げとレールの敷設。
 アルミの脚立を出入り用の昇降階段とは反対側の中央扉の脇に出し、その上にエンジン発電機を載せる。蓄電池箱を開け大容量バッテリーチャージャーを接続し、エンジン発電機からバッテリーチャージャを介してキハ601に電力を供給できる状態にする。
 その間に、いつも鉾田駅跡地の緑化作業等を手伝っていただいているひたちなか市の方、硬券の記念入場券を準備いただいたりといつもイベント時にお手伝いをしていただいている鹿嶋市の方、そして県外への長期出張から一時帰宅中のOさんが相次いで到着。
 鉾田駅解体時に『ネバーギブアップかしてつ』が譲り受けた物を借用している鉄パイプ製の改札のラッチをキハ601から降ろし、当時改札の有った付近に並べる。
 関東鉄道さんに連絡してある車両の移動予定時刻の10時近くになったので、移動区間の軌道敷きへの立入り抑止ロープを設置した後、KR-505に向かい、手歯止め撤去、手ブレーキ緩解、緊急ブレーキスイッチ切りの順で転動防止を解き、ブレーキ試験(込め緩めによるBC圧の確認)、その後Nさん運転で先ずは微速での起動試験と制動試験。以上の確認の後、Oさんの手旗誘導でKR-505を歩くような速さで慎重にホームまで移動する。ルーティンの作業ではあるのだが、全員が毎回一番緊張する一時である。
 ホームに留置後、手ブレーキと緊急ブレーキスイッチを扱い転動防止をした後、側扉を開錠して開扉し、KR-505車内に保管しているベンチをホーム上に出す。それから鉾田駅の駅名標のレプリカをホームの駅名標の枠に取り付ける。
 その間にキハ601車内ではグッズ販売エリアの準備が平行して進められている。
 いつもバタバタではあるのだが、開場予定の11時前には一通り準備作業は終わり、とりあえず落ち着く。

 今回の車両公開は特に目玉となるイベントを意図的に設けない『緩いイベント』としての実施。スタッフである我々もグッズ類の店番以外には特に開催時間帯はやることが無い。Nさんには鉄道模型の展示運転に没頭していただけるし、おいらはおいらで、訪問者の方々との交流の時間が充分にとれる。とはいえ、その地味さのせいかイベントとしての客の入りはいささか低調。
 プラレールコーナーは閑古鳥が鳴いている。いつも思うことだが、このコーナー、全て子供の自主性に任せるか、有る程度のレイアウトを先に大人が作ってやっておくのが良いのかは子供の年齢によって変動するファクターもあり難しいところ。今回は、親子連れの方の滞在時間が短かく、積極的に遊ばせようとしてくださった方々が少なかったのもいつもより活気が無かった原因かも知れない。

 ゆっくりとした時間が流れ、15時の終了タイムとなる。キハ601の窓の表示類と、乗降用の階段を取り外し、側面をクリアにして短時間の撮影タイム。もっとも、陽の短いこの時期、夏場とは違ってキハ601の北西側側面には陽がささず、形式写真の撮影にはいささか難がある。

 その後、次週の『RailLoad Theater』の開催のため、キハ601に収納してある物資のKR-505への一時移動を行う。鉄道模型展示台を完全に解体し、鉾田方の運転台に収納してある塗料缶等の資材を全てKR-505へ移動する。ここ一年の活動でいつの間にか物資が増えており、思ったよりも重労働だった。

 KR-505を通常の留置位置まで回送し、非常をとった後、手ブレーキを巻き・両運転台の緊急ブレーキスイッチを投入し、床下に降りて手歯止めを設置し、戸締りをして電源を落とし、最後に運転室の乗降扉を施錠する。とりあえずこれでKR-505に関する作業は終了。

 その後キハ601へ発電機等の収納作業を行い、こちらも戸締りを済ませ、Nさんと多少の打ち合わせの後解散とした。