【鉾田駅保存会】展示線の修復工事が終わり、保存車両が展示線に戻りました。2011年12月25日 16:51

---12/24付け『鉾田駅保存会』公式ウェブログからの転載です---


 皆様に、このクリスマスという時期に、題記のご報告をできる事を、保存会会員一同、大変幸福に思います。

 旧鹿島鉄道で活躍していた鉾田市所有の保存車両『キハ601』と『KR-505』は、去る3月11日に発生した、東北地方太平洋沖地震(東日本大震災・M9.0)と、その約1時間後に至近の鹿島灘で発生したM7.3の余震の直撃に曝されました。
 
 展示施設である、鉾田市の温泉・レジャー施設、『ほっとパーク鉾田』の直近(約500m)にあり、比較的地盤が安定していると考えられる台地上にあるにも関わらず、『鉾田市当間』の観測点では本震による加速度が全国でも5番目となる値を記録し、その震度は関東地方での最大震度である、震度6強となりました。
 更に本震の約1時間後に発生した、至近の鹿島灘を震源とするM7.3の余震においても、鉾田市当間は再び震度6強を記録しています。
 つまり、大変不幸な事に、鉾田市は、僅か1時間強の間に、震度6強の巨大地震に、2度にわたって襲われるという、前代未聞の過酷な状況に曝されたのです。

 『ほっとパーク鉾田』は、巴川の低湿地帯を埋め立てた立地であったため、本館を始めとして多数の施設が、地震による振動とそれに伴って発生した地盤の液状化により、多大な損害を被りました。

 それは、保存車両も例外では無く、地盤の液状化により展示線の線路は大きく波打ち傾き、それはその上に載る車両も同様で、周囲のフェンスは多数の箇所で損傷し、見るも無残な姿となりました。
 キハ601は、南側の車止め付近の地盤沈下により、脱線こそ免れたものの、約1.5mも線路上を滑って移動し車両の前後方向に傾斜し、床下機器の一部は車体中央部分で隆起した路盤上のレールに挟まれ損傷を受けました。
 KR-505は、西側の路盤の沈下により、西側に傾斜した状態となり、やはり脱線こそ免れたものの、床下機器の一部はキハ601と同様に車体中央部分で隆起した路盤とレールに接触し、車両は横方向に傾いていました。

 復旧作業の予算の算定、鉾田市としての震災復旧予算の作成、市議会の承認、工事の発注といった諸々の手続きが迅速になされた結果、展示線の路盤の復旧のため、去る12月10日に、キハ601とKR-505は、2台のクレーンにより展示線脇の平場に移動され、展示線の路盤及びレールの復旧作業の完了を待つ事となりました。

 路盤及び線路の復旧作業は迅速に行なわれ、昨日、12月23日午前、2両の保存車両は修復された展示線のレールの上に無事戻されました。

 展示線の周囲は、崩壊した公園の地盤の修復作業、破損した駐車場の舗装の修繕作業、傾いた街灯の修復作業等が行なわれており、ほっとパーク鉾田の公園内は、現在も引き続き立ち入り禁止となっております。

 鉾田駅保存会は、展示線周囲の復旧作業が一段落するのを待って、車両の補修作業を再開する予定です。

 保存車両の車内公開が早期に再開できるよう車両の補修・塗装作業を進めてまいります。

 鹿島鉄道の廃線から5周年となる、来年、2012年3月31日(土)に向けて、会員一同一丸となり、車両公開準備を進めていきます。

 思えば、鹿島鉄道の廃止が正式に決定したのは、5年前の今日、2006年12月24日クリスマスイブの日でした。
 鉾田駅保存会の初期メンバー3名が、鉾田駅跡地の賃借と車両の買取による保存活動の継続を決断し、関東鉄道殿と交渉を開始したのは、4年前の2007年のやはり12月下旬でした。
 ほっとパーク鉾田での車両の展示保存が決定し、鉾田駅跡地からほっとパーク鉾田へ車両の移送作業が行なわれたのは、2年前の今日、2009年12月24日のクリスマスイブの夜の事でした。

 鉾田駅保存会にとって2011年12月23日は、3回目の船出の日となりました。

 今まで、有形・無形問わず、ご協力をいただいた皆様、我々を応援していただいた皆様、激励していただいた皆様、本当にありがとうございました。

 また、この場をお借りしまして、展示線の復旧にご尽力いただいた、鉾田市役所の関係各部署の皆様、『ほっとパーク鉾田』を管理しておられる鉾田市健康づくり財団の皆様、そして何よりも地元の鉾田市の皆様に、心からお礼を申し上げます。