【茨城県立歴史館】『アーカイブスにみる茨城の廃線鉄道』 ― 2011年12月03日 23:59
-本エントリはMixiでの日記に加筆訂正したものです-
今日は、ほっとパーク鉾田での保存気動車の修繕作業の予定だったのだが、荒天に見舞われ、残念ながら中止となってしまった。
このため、予定外だったが、今日の午後14時から行われた、茨城県立歴史館で行われた「平成23年度第3回歴史教室」『アーカイブスにみる茨城の廃線鉄道』という、無料の公開講座に参加できる事になった。
定員が200名という事で、開場は13時半、講座の開始は14時だが、当日9時半から入場整理券の配布があるといのこと。11時くらいに一度歴史館の受付カウンターに行ったところ渡された整理券は32番だった。
対象は下記の11路線、旅客輸送を有償で行っていた路線で、かつ現時点で路線が存続していないものというフィルタでピックアップされたものだそうである。
従って、各種専用線・石材運搬路線等は対象外という事になる。
今回、講義の対象となったのは下記。
(1)笠間人車軌道
(2)筑波鉄道
(3)水浜電車(茨城交通水浜線)
(4)鹿島軌道
(5)鹿島参宮鉄道(鹿島鉄道)
(6)村松軌道
(7)常南電気鉄道
(8)茨城鉄道 (茨城交通茨城線)
(9)常総筑波鉄道三所線(鬼怒川砂利線)
(12)常北電気鉄道(日立電鉄)
(11)水戸電気鉄道
蛇足だが、定常的に人員を乗せていて現在は人員を乗せていないか、廃止された鉄道路線となると更に少なくとも下記が追加される事になる。
(A)鹿島臨海鉄道臨港線
(B)日立鉱山鉱山電車
(C)日立製作所専用線
13時頃家を出て開場時間には有る程度余裕を持って歴史館に到着。聴講だけなら入場券は不要との事だったのだが、講義の終了時間から閉館時間までに1時間程あったので、とりあえず入場券もカウンターで購入。
講座は歴史館の講堂で実施、入り口の脇になんか水面に囲まれた変な建物があるなぁ何だろうこれ?と思っていたのだが、それが講堂だった。
この時点で講堂の前のロビーには30人以上、開場を待つ人が居た。
年配の方が多く、次いでおそらく学生と思われる年齢の方が10人弱、おいら位の年代はかなり少ない。
開場後、整理券の番号順に入場。整理券を持ちながらかつ開場前に来ていた人間は意外と少なかった。
おかげで幸いにも、3列めでプロジェクタの斜め後ろの中央通路脇の席が空いており、スクリーンに関しては全く視界が遮られない好位置をゲットできた。
『アーカイブスに見る』という事で、国立公文書館や茨城県の公文書館としても機能しているこの茨城県立歴史館等に収蔵されている公文書から、各廃線鉄道のあらましを見ていきましょうというのが、今回の講座の趣旨。
途中一回の休憩を挟んでまるまる2時間、つまり1路線あたり約10分で、かなりの駆け足の内容。
おいら的には存在を認識していない路線も、多かれ少なかれ廃線探訪的に歩いていない路線も皆無だったので、まぁ予習はバッチリって事だった。
しかし、予備知識の無い方にはいきなり11路線はいささか風呂敷の広げ過ぎだったような気がしないでもない。
あのスピードでは、講聴者が、目まぐるしい展開についてフォロー出来たのかは、まぁ余計なお世話ではあるのだが、ちょっと不安を感じた。
講座の内容的には、鉄道路線の許認可に関わる行政上の書類や、請願等の一次資料に記された内容から、鉄道の敷設・経営・廃止に至る過程を読み解いて行きましょうという流れ。
一次資料から引用した内容から配布資料に起されたレジュメは32ページもあって、正直、『これ、只で貰っちゃってホントに良いの?』という気がした。
休憩時間中と閉講後には、茨城県立歴史館が所蔵している本物の一次資料も閲覧でき、また一次資料を活字に起し販売されている『茨城県立歴史館資料叢書 鉄道関係資料Ⅰ・Ⅱ』も展示されていた。
この文献は初見だったのだが、2冊で4000円程での頒布価格だったので、帰りに受付のカウンターで衝動買いしてしまった。
箱入りの薄紙付きハードカバーでカラーページも有る、かなりお買い得感の強いものだった。
『茨城県立歴史館史料叢書 7 鉄道関係資料 Ⅰ』が2004年の刊行、各鉄道敷設関係資料を収録。泡に帰した意外な鉄道計画の史料がそこここに散りばめられていて、更に常磐炭鉱系の専用線の請願史料まで有る。
『茨城県立歴史館史料叢書 13 鉄道関係資料 Ⅱ』が2010年の刊行、水戸鉄道(水戸~常陸太田・上菅谷~常陸大宮)及びそれに伴う大郡線関連の確執・関東鉄道龍ヶ崎線の成立経緯等が収録対象。
この2冊、斜め読みしてみると公文書であるのに(であるからこそ)かなり人間くさい言葉が慇懃に投げ交せられるという、なかなかに面白い本である。
この叢書、このペースだと2016年には 「鉄道関係資料Ⅲ」が出てくれるのかなぁ。
まぁ、この歴史館で保管されている茨城県の公文書の閲覧ができる事が今回判ったので、閉架の一次史料を出してもらって、自力で当たるという手はあるのだが。これは当然手書きのものなので、書写が面倒であると同時にハズレを引く可能性も有るのだよな。
しっかし『灯台下暗し』ってこれだよなぁ。
茨城県立歴史館の立地する場所は偕楽園の北側の広大な土地。
何故こんな一等地に広大な土地が歴史館建設時に残っていたのかというと、ここは元々茨城県立水戸農業高等学校が立地していた所なのだ。
昭和30年代に入って宅地化に伴い市街地が周囲に広がり、手狭である事や実習用の動物類からの臭気等もあって移転をやむなくされ、水戸農業高等学校は現在の那珂市西木倉の広大なキャンパスに移転し、残ったその敷地を歴史館等の公共施設に転用したのである。
このため、茨城県立歴史館の敷地内には、当時の水戸農業高等学校の本館が復元されて残されている。
そして実は、その水戸農業高等学校は、父の母校であり、更にはその後の父の畜産科の実習助手としての任地でもあったのだ。
そういう訳で歴史館自体にある程度関心と愛着を持っていたのだが、ここはだだの歴史博物館という認識でいたので、ここが茨城県の公文書館として機能しており、一次資料である県の古い公文書が収蔵されているという事は全く知らなかった。
講座の方の内容としてはこんな感じ。
笠間人車軌道は地元からの『軌道は依然としてその中央に蟠居するを以って停車場線県道の交通上に於て危険の甚だしき事』とか『非文化的交通機関』とかコテンパンに叩かれている請願書などかなり面白い。また、この請願書は人車の車両の出自が柴又帝釈天の人車軌道からの転用である事に触れている事も興味深い。
他にも制動装置が余りにも貧弱だとか、怪我人がいっぱい出ているとか。
筑波鉄道は、当初下館への路線を企図していたが、桜川・五行川・小貝側の架橋経費を嫌い雨引を経由して岩瀬に至る路線に計画変更したとか、更に岩瀬から宇都宮に至る路線の計画があったとか。
水浜電車は、那珂湊への路線延伸に関する確執や、延伸こそしたものの併用橋である海門橋の落橋により、それが短期間で終わってしまった事とか。
鹿島軌道は、途中の集落が県道への併用軌道設置に難色を示し集落をバイパスする専用軌道敷での敷設を請願している史料とか、まぁこれは基礎知識だがあっという間に廃線になってしまった事とか。
鹿島参宮鉄道は、鹿島神宮連絡のために『汽船』の営業を届け出ている史料で、兼業として追加する営業内容として『汽船』の他に『養魚』とある事とか。浜駅のドックででも何か飼っていたのであろうか。
村松軌道では、開業時の乗客見積りからそもそも十三参りのピーク旅客を他の期間とは別勘定で考えていた事とか、軌道の設立会社の設置場所自体が村松国蔵尊だったり、発起人が国蔵尊の住職だった事とか。
茨城鉄道が設立当初、最初の赤塚起点の計画を一度水戸駅起点に変更したものの、当時の常盤村での敷地確保に行き詰まり、対象地主多数のため短期での鉄道用地の強制収用の手続きもままならず、結局起点を元の計画である赤塚駅に戻した事も関連する史料類から読み解ける事も紹介された。
こういう感じで、2時間で一気に11路線の解説がなされた。
質疑応答の時間が無かった事は多少残念だったが、講師の茨城県立歴史館史料学芸部歴史資料課の折笠様には、閉講後、個別にお話を伺う事ができ、11路線をピックアップされた基準(フィルタリングの根拠)についても明確なご説明を伺う事ができたのは大変有り難かった。
なんだかんだで、思いもかけず、なかなかに濃い午後のひとときになった。
今日は、ほっとパーク鉾田での保存気動車の修繕作業の予定だったのだが、荒天に見舞われ、残念ながら中止となってしまった。
このため、予定外だったが、今日の午後14時から行われた、茨城県立歴史館で行われた「平成23年度第3回歴史教室」『アーカイブスにみる茨城の廃線鉄道』という、無料の公開講座に参加できる事になった。
定員が200名という事で、開場は13時半、講座の開始は14時だが、当日9時半から入場整理券の配布があるといのこと。11時くらいに一度歴史館の受付カウンターに行ったところ渡された整理券は32番だった。
対象は下記の11路線、旅客輸送を有償で行っていた路線で、かつ現時点で路線が存続していないものというフィルタでピックアップされたものだそうである。
従って、各種専用線・石材運搬路線等は対象外という事になる。
今回、講義の対象となったのは下記。
(1)笠間人車軌道
(2)筑波鉄道
(3)水浜電車(茨城交通水浜線)
(4)鹿島軌道
(5)鹿島参宮鉄道(鹿島鉄道)
(6)村松軌道
(7)常南電気鉄道
(8)茨城鉄道 (茨城交通茨城線)
(9)常総筑波鉄道三所線(鬼怒川砂利線)
(12)常北電気鉄道(日立電鉄)
(11)水戸電気鉄道
蛇足だが、定常的に人員を乗せていて現在は人員を乗せていないか、廃止された鉄道路線となると更に少なくとも下記が追加される事になる。
(A)鹿島臨海鉄道臨港線
(B)日立鉱山鉱山電車
(C)日立製作所専用線
13時頃家を出て開場時間には有る程度余裕を持って歴史館に到着。聴講だけなら入場券は不要との事だったのだが、講義の終了時間から閉館時間までに1時間程あったので、とりあえず入場券もカウンターで購入。
講座は歴史館の講堂で実施、入り口の脇になんか水面に囲まれた変な建物があるなぁ何だろうこれ?と思っていたのだが、それが講堂だった。
この時点で講堂の前のロビーには30人以上、開場を待つ人が居た。
年配の方が多く、次いでおそらく学生と思われる年齢の方が10人弱、おいら位の年代はかなり少ない。
開場後、整理券の番号順に入場。整理券を持ちながらかつ開場前に来ていた人間は意外と少なかった。
おかげで幸いにも、3列めでプロジェクタの斜め後ろの中央通路脇の席が空いており、スクリーンに関しては全く視界が遮られない好位置をゲットできた。
『アーカイブスに見る』という事で、国立公文書館や茨城県の公文書館としても機能しているこの茨城県立歴史館等に収蔵されている公文書から、各廃線鉄道のあらましを見ていきましょうというのが、今回の講座の趣旨。
途中一回の休憩を挟んでまるまる2時間、つまり1路線あたり約10分で、かなりの駆け足の内容。
おいら的には存在を認識していない路線も、多かれ少なかれ廃線探訪的に歩いていない路線も皆無だったので、まぁ予習はバッチリって事だった。
しかし、予備知識の無い方にはいきなり11路線はいささか風呂敷の広げ過ぎだったような気がしないでもない。
あのスピードでは、講聴者が、目まぐるしい展開についてフォロー出来たのかは、まぁ余計なお世話ではあるのだが、ちょっと不安を感じた。
講座の内容的には、鉄道路線の許認可に関わる行政上の書類や、請願等の一次資料に記された内容から、鉄道の敷設・経営・廃止に至る過程を読み解いて行きましょうという流れ。
一次資料から引用した内容から配布資料に起されたレジュメは32ページもあって、正直、『これ、只で貰っちゃってホントに良いの?』という気がした。
休憩時間中と閉講後には、茨城県立歴史館が所蔵している本物の一次資料も閲覧でき、また一次資料を活字に起し販売されている『茨城県立歴史館資料叢書 鉄道関係資料Ⅰ・Ⅱ』も展示されていた。
この文献は初見だったのだが、2冊で4000円程での頒布価格だったので、帰りに受付のカウンターで衝動買いしてしまった。
箱入りの薄紙付きハードカバーでカラーページも有る、かなりお買い得感の強いものだった。
『茨城県立歴史館史料叢書 7 鉄道関係資料 Ⅰ』が2004年の刊行、各鉄道敷設関係資料を収録。泡に帰した意外な鉄道計画の史料がそこここに散りばめられていて、更に常磐炭鉱系の専用線の請願史料まで有る。
『茨城県立歴史館史料叢書 13 鉄道関係資料 Ⅱ』が2010年の刊行、水戸鉄道(水戸~常陸太田・上菅谷~常陸大宮)及びそれに伴う大郡線関連の確執・関東鉄道龍ヶ崎線の成立経緯等が収録対象。
この2冊、斜め読みしてみると公文書であるのに(であるからこそ)かなり人間くさい言葉が慇懃に投げ交せられるという、なかなかに面白い本である。
この叢書、このペースだと2016年には 「鉄道関係資料Ⅲ」が出てくれるのかなぁ。
まぁ、この歴史館で保管されている茨城県の公文書の閲覧ができる事が今回判ったので、閉架の一次史料を出してもらって、自力で当たるという手はあるのだが。これは当然手書きのものなので、書写が面倒であると同時にハズレを引く可能性も有るのだよな。
しっかし『灯台下暗し』ってこれだよなぁ。
茨城県立歴史館の立地する場所は偕楽園の北側の広大な土地。
何故こんな一等地に広大な土地が歴史館建設時に残っていたのかというと、ここは元々茨城県立水戸農業高等学校が立地していた所なのだ。
昭和30年代に入って宅地化に伴い市街地が周囲に広がり、手狭である事や実習用の動物類からの臭気等もあって移転をやむなくされ、水戸農業高等学校は現在の那珂市西木倉の広大なキャンパスに移転し、残ったその敷地を歴史館等の公共施設に転用したのである。
このため、茨城県立歴史館の敷地内には、当時の水戸農業高等学校の本館が復元されて残されている。
そして実は、その水戸農業高等学校は、父の母校であり、更にはその後の父の畜産科の実習助手としての任地でもあったのだ。
そういう訳で歴史館自体にある程度関心と愛着を持っていたのだが、ここはだだの歴史博物館という認識でいたので、ここが茨城県の公文書館として機能しており、一次資料である県の古い公文書が収蔵されているという事は全く知らなかった。
講座の方の内容としてはこんな感じ。
笠間人車軌道は地元からの『軌道は依然としてその中央に蟠居するを以って停車場線県道の交通上に於て危険の甚だしき事』とか『非文化的交通機関』とかコテンパンに叩かれている請願書などかなり面白い。また、この請願書は人車の車両の出自が柴又帝釈天の人車軌道からの転用である事に触れている事も興味深い。
他にも制動装置が余りにも貧弱だとか、怪我人がいっぱい出ているとか。
筑波鉄道は、当初下館への路線を企図していたが、桜川・五行川・小貝側の架橋経費を嫌い雨引を経由して岩瀬に至る路線に計画変更したとか、更に岩瀬から宇都宮に至る路線の計画があったとか。
水浜電車は、那珂湊への路線延伸に関する確執や、延伸こそしたものの併用橋である海門橋の落橋により、それが短期間で終わってしまった事とか。
鹿島軌道は、途中の集落が県道への併用軌道設置に難色を示し集落をバイパスする専用軌道敷での敷設を請願している史料とか、まぁこれは基礎知識だがあっという間に廃線になってしまった事とか。
鹿島参宮鉄道は、鹿島神宮連絡のために『汽船』の営業を届け出ている史料で、兼業として追加する営業内容として『汽船』の他に『養魚』とある事とか。浜駅のドックででも何か飼っていたのであろうか。
村松軌道では、開業時の乗客見積りからそもそも十三参りのピーク旅客を他の期間とは別勘定で考えていた事とか、軌道の設立会社の設置場所自体が村松国蔵尊だったり、発起人が国蔵尊の住職だった事とか。
茨城鉄道が設立当初、最初の赤塚起点の計画を一度水戸駅起点に変更したものの、当時の常盤村での敷地確保に行き詰まり、対象地主多数のため短期での鉄道用地の強制収用の手続きもままならず、結局起点を元の計画である赤塚駅に戻した事も関連する史料類から読み解ける事も紹介された。
こういう感じで、2時間で一気に11路線の解説がなされた。
質疑応答の時間が無かった事は多少残念だったが、講師の茨城県立歴史館史料学芸部歴史資料課の折笠様には、閉講後、個別にお話を伺う事ができ、11路線をピックアップされた基準(フィルタリングの根拠)についても明確なご説明を伺う事ができたのは大変有り難かった。
なんだかんだで、思いもかけず、なかなかに濃い午後のひとときになった。
日立電鉄廃線跡状況確認~里川橋梁はほぼ解体完了~(3/18) ― 2007年03月18日 22:52
普通の時間に目が覚めるが、昨日撮影した画像の整理等をしていたら午後になる。
忙しさにかまけて床屋にまったく行っておらず、頭がいいかげんボサボサなのを思い出して、行きつけの山方宿の床屋まで車ででかける。
散髪の後、近くの叔母の家に顔を出し、祖父母の仏壇に焼香。
その後293号線経由で常陸太田に向かい、常北太田駅跡から、日立電鉄の廃線跡の現況確認。
常北太田駅は前回の訪問後特に目立った変化はなし。
里川の橋梁は既に全ての橋桁が撤去され、残っているのは両側の橋台と常北太田側の橋脚1本のみ。
小沢の駅もホームも含めて解体済み。
茂宮川の橋梁は従来のまま。
常陸岡田の駅は変電所が撤去されていた前回の訪問からは特に目立った変化は無し。
川中子の駅も前回の訪問後特に目立った変化は無し。
大橋の橋梁の撤去は終了しており、現地の工事事務所も撤去されていた。大橋駅も前回の訪問後特に目立った変化は無し。
茂宮駅も前回の訪問時と変化無し。
南荒野駅は、道路の改修工事に併せてホームも含め完全に撤去されていた。
久慈浜駅は変電所の建屋が撤去され、かなりがらんとした印象。
とりあえず日も暮れたし、久慈浜以北は駅舎の撤去等も前回の時点でかなり進んでいたので、収穫があるとも思えず、現況確認は久慈浜で打ち止めとする。
その後、行きつけのカメラ屋に頼んであったS5Pro用のFujifilm純正の現像ソフト「HS-V3」を取りに行く。ついでにジャンク扱いで半額だったケンコーのφ67のNDフィルターとトワイライトレッドのフィルターをあわせて購入。
夕食は常陸青柳駅近くの回転寿司。いつものように光物中心に12皿。
その後勝田駅でダイヤ改正後の様子の確認。茨城交通はキハ37100-03の単行と、キハ3710-01の単行。
ホームを眺めているとなんとなくE501が幅をきかせている雰囲気。10連4本5連4本の計8本しか無い車両だが、時刻表を眺めてみてもかなりの頻度で運転されることになったようだ。
今日から導入のE531のグリーン車はと言えば、昨日までの繁盛振りが嘘の様に人っ子一人居ないありさま。さて、これからどうなるのだろうか。
引退した415系は西口の電留線に7連が1本と、勝田電車区に火の入った9659Mの表示を出した4連(K561)が1本のみ。
とりあえず2日続けての鉄分摂取。
忙しさにかまけて床屋にまったく行っておらず、頭がいいかげんボサボサなのを思い出して、行きつけの山方宿の床屋まで車ででかける。
散髪の後、近くの叔母の家に顔を出し、祖父母の仏壇に焼香。
その後293号線経由で常陸太田に向かい、常北太田駅跡から、日立電鉄の廃線跡の現況確認。
常北太田駅は前回の訪問後特に目立った変化はなし。
里川の橋梁は既に全ての橋桁が撤去され、残っているのは両側の橋台と常北太田側の橋脚1本のみ。
小沢の駅もホームも含めて解体済み。
茂宮川の橋梁は従来のまま。
常陸岡田の駅は変電所が撤去されていた前回の訪問からは特に目立った変化は無し。
川中子の駅も前回の訪問後特に目立った変化は無し。
大橋の橋梁の撤去は終了しており、現地の工事事務所も撤去されていた。大橋駅も前回の訪問後特に目立った変化は無し。
茂宮駅も前回の訪問時と変化無し。
南荒野駅は、道路の改修工事に併せてホームも含め完全に撤去されていた。
久慈浜駅は変電所の建屋が撤去され、かなりがらんとした印象。
とりあえず日も暮れたし、久慈浜以北は駅舎の撤去等も前回の時点でかなり進んでいたので、収穫があるとも思えず、現況確認は久慈浜で打ち止めとする。
その後、行きつけのカメラ屋に頼んであったS5Pro用のFujifilm純正の現像ソフト「HS-V3」を取りに行く。ついでにジャンク扱いで半額だったケンコーのφ67のNDフィルターとトワイライトレッドのフィルターをあわせて購入。
夕食は常陸青柳駅近くの回転寿司。いつものように光物中心に12皿。
その後勝田駅でダイヤ改正後の様子の確認。茨城交通はキハ37100-03の単行と、キハ3710-01の単行。
ホームを眺めているとなんとなくE501が幅をきかせている雰囲気。10連4本5連4本の計8本しか無い車両だが、時刻表を眺めてみてもかなりの頻度で運転されることになったようだ。
今日から導入のE531のグリーン車はと言えば、昨日までの繁盛振りが嘘の様に人っ子一人居ないありさま。さて、これからどうなるのだろうか。
引退した415系は西口の電留線に7連が1本と、勝田電車区に火の入った9659Mの表示を出した4連(K561)が1本のみ。
とりあえず2日続けての鉄分摂取。
日立電鉄と茨城交通と415系と(8/12) ― 2006年08月12日 20:12
盆休みの初日なので、結構雑事がある。
背広やワイシャツをクリーニングに預けに行ったり、カメラの修理依頼の電話をかけたり、白い肌着をまとめて漂白したり、シーツを洗ったり。
さらに部屋の片付が頭を掠めるが、下手をするとそれだけで盆休みが終わりかねないので着手しようという欲求を振り払う(苦笑)。
普通の時間に起きて、雑事を片付けて11時少し前から毎週末恒例の日立電鉄線廃線跡の哨戒へ。
常北太田は頻度を下げて良いはずなのだが寄っても寄らなくても道のり的に余り差が無いのでとりあえずチェック。
先週と変わらず、駅舎とホーム(上屋含む)のみが残っている。
大橋の陸橋は最後の橋脚の撤去が終わっていた。
工事事務所は未だ設置されており、この後地中部分のコンクリート土台の撤去まで行うのかは未だ判らない。
視覚的には全て撤去済みということにはなるが、更地にするという点ではもう一工事ありそうにも思える。
とりあえず現地の事務所が撤収するまでは頻度は下げても哨戒はしておいた方が良さそうだ。
久慈浜も先週末のままの様子。
こちらも残ったモーターカー等があるので、頻度は下げても哨戒は要継続にしておこう。
いずれにしてもこれからしばらくは各駅の駅舎や施設やホームの撤去が始まるまで、視覚的に大きな変化が起きることは無さそうだ。
続いて茨城交通に移動。
阿字ヶ浦駅前の踏切で止められ、目の前を1201発の124列車が発車して行く、車両はキハ37100-03。ただ見送るのみ。
気をとり直して那珂湊で交換して戻ってくる列車を撮影するため、平磯-磯崎間の線路脇へ移動。平磯駅からのカーブを出て来た車両は予想通りここのところ-03とペアを組んでいるキハ3710-02。
切り通しと築堤の直線を下ってくる正面顔を開放絞りで1発いただく。
両方とも新型車では面白みも無いので、茨城交通はこれで撤収。
天気が悪いので鹿島に足を伸ばす気にもなれず、結局勝田に向かい、メールのチェックなどのために一度職場に短時間顔をだす。
その後は勝田駅北側と勝田駅構内で415系スポッティング。
雨が降り出し、露出も落ちて来たので16時半頃には切り上げた。
背広やワイシャツをクリーニングに預けに行ったり、カメラの修理依頼の電話をかけたり、白い肌着をまとめて漂白したり、シーツを洗ったり。
さらに部屋の片付が頭を掠めるが、下手をするとそれだけで盆休みが終わりかねないので着手しようという欲求を振り払う(苦笑)。
普通の時間に起きて、雑事を片付けて11時少し前から毎週末恒例の日立電鉄線廃線跡の哨戒へ。
常北太田は頻度を下げて良いはずなのだが寄っても寄らなくても道のり的に余り差が無いのでとりあえずチェック。
先週と変わらず、駅舎とホーム(上屋含む)のみが残っている。
大橋の陸橋は最後の橋脚の撤去が終わっていた。
工事事務所は未だ設置されており、この後地中部分のコンクリート土台の撤去まで行うのかは未だ判らない。
視覚的には全て撤去済みということにはなるが、更地にするという点ではもう一工事ありそうにも思える。
とりあえず現地の事務所が撤収するまでは頻度は下げても哨戒はしておいた方が良さそうだ。
久慈浜も先週末のままの様子。
こちらも残ったモーターカー等があるので、頻度は下げても哨戒は要継続にしておこう。
いずれにしてもこれからしばらくは各駅の駅舎や施設やホームの撤去が始まるまで、視覚的に大きな変化が起きることは無さそうだ。
続いて茨城交通に移動。
阿字ヶ浦駅前の踏切で止められ、目の前を1201発の124列車が発車して行く、車両はキハ37100-03。ただ見送るのみ。
気をとり直して那珂湊で交換して戻ってくる列車を撮影するため、平磯-磯崎間の線路脇へ移動。平磯駅からのカーブを出て来た車両は予想通りここのところ-03とペアを組んでいるキハ3710-02。
切り通しと築堤の直線を下ってくる正面顔を開放絞りで1発いただく。
両方とも新型車では面白みも無いので、茨城交通はこれで撤収。
天気が悪いので鹿島に足を伸ばす気にもなれず、結局勝田に向かい、メールのチェックなどのために一度職場に短時間顔をだす。
その後は勝田駅北側と勝田駅構内で415系スポッティング。
雨が降り出し、露出も落ちて来たので16時半頃には切り上げた。
てっきょされたてっきょう(ぉぃ (8/10) ― 2006年08月10日 23:01
朝は起動が遅れバタバタで茨城交通運用確認も、415系スポッティングも無し。
夕方は夕方で午後一からの打ち合わせが延びに延びて結局帰りの勝田駅でのスポッティングも無し。
茨城交通の方は143列車にキハ37100-03。
水戸で水郡ホームに回り、とりあえず3番線の651Mのみ捕獲。
ネタが無いので、添付画像の日立電鉄の大橋の鉄橋を同ポジで使用中と撤去後を縦に並べてみようと思い、1995~2002年ごろまでの画像のストックを2時間近くひっくり返してみたが、どうも車両と鉄橋があるのと無いのとで構図が全く違っている。車両が写っている使用中の構図はみなアップになっていて、廃線探索での廃線後の構図は全体的にワイド側で引き気味なのだ。
仕方が無いので今度行く時は、使用中の画像をプリントアウトして持っていき、同じ位置で同じ画角で撮ろうと思う。
というわけで、とりあえず何も無くなってしまってただの住宅地に見える大橋鉄橋跡と駄洒落で今日はお茶を濁す。
夕方は夕方で午後一からの打ち合わせが延びに延びて結局帰りの勝田駅でのスポッティングも無し。
茨城交通の方は143列車にキハ37100-03。
水戸で水郡ホームに回り、とりあえず3番線の651Mのみ捕獲。
ネタが無いので、添付画像の日立電鉄の大橋の鉄橋を同ポジで使用中と撤去後を縦に並べてみようと思い、1995~2002年ごろまでの画像のストックを2時間近くひっくり返してみたが、どうも車両と鉄橋があるのと無いのとで構図が全く違っている。車両が写っている使用中の構図はみなアップになっていて、廃線探索での廃線後の構図は全体的にワイド側で引き気味なのだ。
仕方が無いので今度行く時は、使用中の画像をプリントアウトして持っていき、同じ位置で同じ画角で撮ろうと思う。
というわけで、とりあえず何も無くなってしまってただの住宅地に見える大橋鉄橋跡と駄洒落で今日はお茶を濁す。
日立電鉄と茨城交通と鹿島鉄道と(8/6) ― 2006年08月06日 23:59
昨晩の余韻をひきづって、午前中は完全に起動不能。
お昼を廻ってからしばらくしてやっと行動を開始する。
先ずはここの所毎週恒例の日立電鉄の定点哨戒。
常北太田駅はこれといって変わりなし(もう駅舎やホームが撤去されるまでは変わりようが無いと言えばそうなのだが)。
ここで、同業者(廃線探訪)の方と遭遇、徒歩鉄のようで、「これから他の駅や廃線跡も廻るんですが、ご一緒しますか?」と声をおかけしたら、思いがけず快諾をいただいた。車中では、日立電鉄についての会話が弾む。連れの方が居るのも楽しいものだ。
せっかくなので、普段は無視している他の駅や橋梁もチェックしながら大橋、久慈浜へと向かう。
大橋の陸橋の橋脚は、最後まで残った県道東側の1本が解体中。おそらく来週には全ての作業が終わっていることだろう。
久慈浜駅の構内は見事にレールの撤去が終了していた。
機関庫の大甕よりに車体長の分だけ残されたレールにモーターカーが載せられていた。
私はその後茨城交通へ向かうので、久慈浜まで同行してくださった方も勝田駅まで同道してくださる事になった。
せっかくなので、東海駅手前の村松軌道と常磐線の立体交差部分へ寄ってみる。ここも数年来ていなかったので良い機会になった。
勝田駅手前で日立製作所の引込み線に寄り、勝田駅に車を止めて駅の北西側の廃ホームへ案内する。同行してくださった方とはここでお別れ。
翌日、大変丁寧なメールをいただいた。
さて、茨城交通。ここのところキハ205&キハ3710-01のペアと、キハ
3710-02&キハ37100-03のペアが一日交代で走っているようなのは読めて来ていたのだが一応確認のため金上-中根間へ、金曜がキハ
3710-02&キハ37100-03のペアだったので、一日置いた今日(8/6)もそうだろうと踏んではいたが、まさにその通りだった。
急げば未だ日没に間に合いそうなので、ひたちなかICから東水戸道路で茨城町東ICへとワープを敢行し、桃浦-八木蒔の筑波山バックのポイントへ、しかし西の雲は厚く、筑波山の姿は望むべくも無かった。
夕日の方は薄雲ごしに輪郭が見えるので、とりあえず夕日バックで撮ろうとするが、一台のカメラで構図を2つ欲張ろうとして見事に失敗した。
その後、常陸小川に車を止め、小川折り返しの車内で一日乗車券を購入し、石岡へ。
実は鹿島鉄道の刻印の入った懐中時計(鉄道時計)だが、既に販売が開始されていて石岡の詰め所でなら売ってもらえるとの話を昨日のカシノリの際に聞いていたので、これを買いに行くのである。
懐中時計(鉄道時計)は日立電鉄の刻印入りのものを既に持っているので、不要といえば不要なのだが、とりあえず発売の御祝儀的な感覚で購入することにしたのだ。
石岡の詰め所では快く対応していただいた。住所氏名を記入して代金を渡し、時計を受け取る。番号は意外と若番で「036」だった。正直、本当に鹿島鉄道の目論見通りに売れているのだろうかと若干心配になる。
詰め所を辞して、5番ホームに止まっていたKR-502に乗り込む。
ぼっとしていた様で、実はこの列車は玉里止まり。折り返そうかとも思ったが、常陸小川まで乗る列車はどうせ同じなので玉里で下車し、石岡へ向かうKR-502を見送り、その後は待合室の観察などをしながら列車を待つ。
鉾田行きは、先ほど石岡南台で交換したKR-503がやって来た。
常陸小川迄戻って、それからバルブ大会でもしようかとも思ったが、翌日の会社のこともあるので自重して帰宅。
帰宅後待ち受けていたのは2日分10GBもの画像データの整理だった。
お昼を廻ってからしばらくしてやっと行動を開始する。
先ずはここの所毎週恒例の日立電鉄の定点哨戒。
常北太田駅はこれといって変わりなし(もう駅舎やホームが撤去されるまでは変わりようが無いと言えばそうなのだが)。
ここで、同業者(廃線探訪)の方と遭遇、徒歩鉄のようで、「これから他の駅や廃線跡も廻るんですが、ご一緒しますか?」と声をおかけしたら、思いがけず快諾をいただいた。車中では、日立電鉄についての会話が弾む。連れの方が居るのも楽しいものだ。
せっかくなので、普段は無視している他の駅や橋梁もチェックしながら大橋、久慈浜へと向かう。
大橋の陸橋の橋脚は、最後まで残った県道東側の1本が解体中。おそらく来週には全ての作業が終わっていることだろう。
久慈浜駅の構内は見事にレールの撤去が終了していた。
機関庫の大甕よりに車体長の分だけ残されたレールにモーターカーが載せられていた。
私はその後茨城交通へ向かうので、久慈浜まで同行してくださった方も勝田駅まで同道してくださる事になった。
せっかくなので、東海駅手前の村松軌道と常磐線の立体交差部分へ寄ってみる。ここも数年来ていなかったので良い機会になった。
勝田駅手前で日立製作所の引込み線に寄り、勝田駅に車を止めて駅の北西側の廃ホームへ案内する。同行してくださった方とはここでお別れ。
翌日、大変丁寧なメールをいただいた。
さて、茨城交通。ここのところキハ205&キハ3710-01のペアと、キハ
3710-02&キハ37100-03のペアが一日交代で走っているようなのは読めて来ていたのだが一応確認のため金上-中根間へ、金曜がキハ
3710-02&キハ37100-03のペアだったので、一日置いた今日(8/6)もそうだろうと踏んではいたが、まさにその通りだった。
急げば未だ日没に間に合いそうなので、ひたちなかICから東水戸道路で茨城町東ICへとワープを敢行し、桃浦-八木蒔の筑波山バックのポイントへ、しかし西の雲は厚く、筑波山の姿は望むべくも無かった。
夕日の方は薄雲ごしに輪郭が見えるので、とりあえず夕日バックで撮ろうとするが、一台のカメラで構図を2つ欲張ろうとして見事に失敗した。
その後、常陸小川に車を止め、小川折り返しの車内で一日乗車券を購入し、石岡へ。
実は鹿島鉄道の刻印の入った懐中時計(鉄道時計)だが、既に販売が開始されていて石岡の詰め所でなら売ってもらえるとの話を昨日のカシノリの際に聞いていたので、これを買いに行くのである。
懐中時計(鉄道時計)は日立電鉄の刻印入りのものを既に持っているので、不要といえば不要なのだが、とりあえず発売の御祝儀的な感覚で購入することにしたのだ。
石岡の詰め所では快く対応していただいた。住所氏名を記入して代金を渡し、時計を受け取る。番号は意外と若番で「036」だった。正直、本当に鹿島鉄道の目論見通りに売れているのだろうかと若干心配になる。
詰め所を辞して、5番ホームに止まっていたKR-502に乗り込む。
ぼっとしていた様で、実はこの列車は玉里止まり。折り返そうかとも思ったが、常陸小川まで乗る列車はどうせ同じなので玉里で下車し、石岡へ向かうKR-502を見送り、その後は待合室の観察などをしながら列車を待つ。
鉾田行きは、先ほど石岡南台で交換したKR-503がやって来た。
常陸小川迄戻って、それからバルブ大会でもしようかとも思ったが、翌日の会社のこともあるので自重して帰宅。
帰宅後待ち受けていたのは2日分10GBもの画像データの整理だった。
日立電鉄と茨城交通と鹿島鉄道と(7/29) ― 2006年07月29日 23:59
出張疲れか、天気が良いのに朝は起動できず、お昼を廻ってから行動開始。
先ずは、日立電鉄の定点観測へ。
今週は天気が比較的良かったので、作業が進んでいるだろうと想像しながら常北太田駅へ車を走らせる。
常北太田駅は先週まで敷いてあった線路と枕木の撤去が完了していた。
残されているポイントのレールの年代は1950年代40kレールのよう。
設備投資については廃線前の数年間以外はきちんとやっていた鉄道だったことを改めて確認した。
大橋の陸橋は、県道より東側は県道脇の最も県道に近い橋脚を除いて撤去が終了。県道より西側は撤去工事が進行中で、橋台部分も含めて残っている橋脚は5本。来週中には全て終わりそうな雰囲気。
久慈浜駅ではレール撤去の真っ最中、大甕側から順次剥がしているようで、ホームには外されたタイプレートや犬釘が散乱していた。
ここも来週中には全て終わりそうな雰囲気。
次に茨城交通へ移動。
阿字ヶ浦駅に止まっていたのはキハ3710-02。
夏の海水浴シーズンで、改札に駅員さんが居たものの、フリー切符は売っていないとのこと。
中根駅へ移動し、勝田方からやって来たのはキハ37100-03。
新型車だけの運用と判ったので、今日は茨城交通はあきらめて、鹿島に向かう事にす。
が、移動中にトラブル発生。道路脇からいきなり出て来たおばさんの乗用車を避けるため急ブレーキ。「止まった、あぶなかったー」と思った瞬間後ろからドーン!、麗しきお嬢さんにおかま掘られてしまいました(汗。
幸いお嬢さんも漏れも怪我は無し、ただの物損事故。
おいらの車は無駄に頑丈に出来ているので目だった損傷は無し、リアのステンレスパイプのガードに当たったようだが。見た目は相手の車の塗料が付いているくらいのもの。
対するお嬢さんの車のほうはボンネットがへの字になってしまい、見るも無残な状況(かと言って徐行中の事故なのでライト類等の損傷は無かった)
太陽が沈みかけているんだが、おばさんも、お嬢さんもおろおろするばかりで埒があかない。
しゃーないので、後々お嬢さんの方の車の修理の保険とかもあるし、念のためって事で110番通報、東京電力の電柱の番号を言って場所を確定してもらい、交通課の担当者を派遣してもらう。
免許証・車検証・自賠責の確認と各人への聞き取りなど簡単な感じで調べは終了。まぁ後は保険屋と相談してくれ。俺は別に目だった被害があるわけじゃ無いので請求するつもりは無い。必要なら連絡くれれば良いからということで、名詞渡して解散。
前にも逆輸入車に信号待ちでおかま掘られたことがあるのだが(その時もも向こうは中破、こっちは実質被害無し)、そんなに俺の車の尻は魅力的なんだろうか?それともブレーキランプが見難いとかあるのだろうか?
てな訳で、鹿島鉄道入りは大幅に遅れてしまい、常陸小川の窓口の時間に間に合わなかった。駅員さんは居るのだが既に会計を締めてしまった後で次の列車で石岡に上がるとのことで、必要なら運転士から買ってくれとのこと。仕方がないので、交換待ちで停車中のワンマンの運転士さんに、常務員室の落とし窓越しに交換待ちの時間で一日乗車券を発券してもらった。
これで堂々と利用者として構内で撮影できるってもんで(本日の上納金1100円也)。
常陸小川交換が2回続くのでそれをバルブ撮影(結局この日はそれだけでした)。出来はイマイチ。
DD901はなんだか従来より石岡よりに移動が行われたようで、光線状態の良い南側には踏切制御器のボックスが来てしまい、従来よりは撮りづらくなってました。
先ずは、日立電鉄の定点観測へ。
今週は天気が比較的良かったので、作業が進んでいるだろうと想像しながら常北太田駅へ車を走らせる。
常北太田駅は先週まで敷いてあった線路と枕木の撤去が完了していた。
残されているポイントのレールの年代は1950年代40kレールのよう。
設備投資については廃線前の数年間以外はきちんとやっていた鉄道だったことを改めて確認した。
大橋の陸橋は、県道より東側は県道脇の最も県道に近い橋脚を除いて撤去が終了。県道より西側は撤去工事が進行中で、橋台部分も含めて残っている橋脚は5本。来週中には全て終わりそうな雰囲気。
久慈浜駅ではレール撤去の真っ最中、大甕側から順次剥がしているようで、ホームには外されたタイプレートや犬釘が散乱していた。
ここも来週中には全て終わりそうな雰囲気。
次に茨城交通へ移動。
阿字ヶ浦駅に止まっていたのはキハ3710-02。
夏の海水浴シーズンで、改札に駅員さんが居たものの、フリー切符は売っていないとのこと。
中根駅へ移動し、勝田方からやって来たのはキハ37100-03。
新型車だけの運用と判ったので、今日は茨城交通はあきらめて、鹿島に向かう事にす。
が、移動中にトラブル発生。道路脇からいきなり出て来たおばさんの乗用車を避けるため急ブレーキ。「止まった、あぶなかったー」と思った瞬間後ろからドーン!、麗しきお嬢さんにおかま掘られてしまいました(汗。
幸いお嬢さんも漏れも怪我は無し、ただの物損事故。
おいらの車は無駄に頑丈に出来ているので目だった損傷は無し、リアのステンレスパイプのガードに当たったようだが。見た目は相手の車の塗料が付いているくらいのもの。
対するお嬢さんの車のほうはボンネットがへの字になってしまい、見るも無残な状況(かと言って徐行中の事故なのでライト類等の損傷は無かった)
太陽が沈みかけているんだが、おばさんも、お嬢さんもおろおろするばかりで埒があかない。
しゃーないので、後々お嬢さんの方の車の修理の保険とかもあるし、念のためって事で110番通報、東京電力の電柱の番号を言って場所を確定してもらい、交通課の担当者を派遣してもらう。
免許証・車検証・自賠責の確認と各人への聞き取りなど簡単な感じで調べは終了。まぁ後は保険屋と相談してくれ。俺は別に目だった被害があるわけじゃ無いので請求するつもりは無い。必要なら連絡くれれば良いからということで、名詞渡して解散。
前にも逆輸入車に信号待ちでおかま掘られたことがあるのだが(その時もも向こうは中破、こっちは実質被害無し)、そんなに俺の車の尻は魅力的なんだろうか?それともブレーキランプが見難いとかあるのだろうか?
てな訳で、鹿島鉄道入りは大幅に遅れてしまい、常陸小川の窓口の時間に間に合わなかった。駅員さんは居るのだが既に会計を締めてしまった後で次の列車で石岡に上がるとのことで、必要なら運転士から買ってくれとのこと。仕方がないので、交換待ちで停車中のワンマンの運転士さんに、常務員室の落とし窓越しに交換待ちの時間で一日乗車券を発券してもらった。
これで堂々と利用者として構内で撮影できるってもんで(本日の上納金1100円也)。
常陸小川交換が2回続くのでそれをバルブ撮影(結局この日はそれだけでした)。出来はイマイチ。
DD901はなんだか従来より石岡よりに移動が行われたようで、光線状態の良い南側には踏切制御器のボックスが来てしまい、従来よりは撮りづらくなってました。
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