【日付ネタ】湊線キハ201(2/1)2016年02月01日 23:34

キハ201
 月日の廻りが茨城交通(現ひたちなか海浜鉄道)っぽくなってきましたので。フェイスブックのタイムラインの再活用ですが、賑やかしには良いでしょう。
 で、2月01日は、キハ201です。約20年前の画像です。

 当時は、空いているときであれば、那珂湊駅の改札で、申告して、住所・氏名・連絡先の記帳をして諸注意事項を聞かせてくださると、入構許可をいただき、構内の撮影ができました。

 先ずは朝の4連運用に入っていた頃のキハ201です。
 これも含めてこれから4両はの鹿島臨海鉄道からの転入車ですね。

 当時は朝の増結車両の昼間の定位置がここになっていました。
 他の留置車も含め長大編成の様にも見えます。

【日付ネタ】湊線キハ202(2/2)2016年02月02日 00:05

キハ202
 葉桜の4連のキハ202。(金上~日工前)
 あらら、ゴミがゴミが・・・

 那珂湊で上り落としが原則でしたので、増結のキハ20型は通常は阿字ヶ浦方に連結されていました。

 日によって、キハ20が3連で他の旧型車1両の場合と、キハ20が2連で他の旧型車が2連の場合がありましたが、理由は良く分かりませんでした。

 4連時代の日工前の朝の客扱いは、上りはこの列車のみで、使用するドアも最後尾のみという扱いでした。

 日工前のホームは3両分しかないので、先頭車はホームからはみ出して停車していました。

【日付ネタ】湊線キハ203(2/3)2016年02月03日 02:41

湊線キハ203
 通学輸送を終えて阿字ヶ浦で折り返し待ちのキハ203。(阿字ヶ浦駅)
1996年当時、
 勝田発619の105列車が、那珂湊から前部(阿字ヶ浦方)に増結して4両になり、阿字ヶ浦へ向かい、
 阿字ヶ浦から今度は701発の108列車で勝田へ向かい、
 折り返し勝田発751の109列車で阿字ヶ浦まで4両で戻り、
 阿字ヶ浦発826の112列車で那珂湊まで4両で運転し、
 那珂湊で後方(阿字ヶ浦方)の車両を解結という運用のようでした。
 
 非ワンマン車のキハ201~204は、この増結運用の専用車という感じの使われ方になっていました。(もちろん例外はありました)
 実は通勤では、ちょうど対向の運用が始業時刻に都合が良かったので、4連自体はあまり乗ったことが無かったりします。

【日付ネタ】湊線キハ204(2/4)2016年02月04日 05:40

キハ204
 ほぼ、運用から落ちてしまった後の姿です。
 思ったよりも、キハ201~204の走行写真は撮影していなかったようです。
 4連シーンは多少あるのですが、遠景だと車番の正確な判別ができるほど鮮明じゃ無いものがほとんどなのですよね。

 今回は、関東鉄道竜ケ崎線の2001・2002や、ダブる譲渡前の鹿島臨海鉄道のキハ2001~2004を無視したので、道産子のキハ2004・2005と日立電鉄の2001~2010も、0が1個多いということで、とりあうず無しということにして、茨城交通の5両にしぼります(苦笑)。

              ー 場所: 那珂湊駅

【日付ネタ】湊線キハ205(2/5)2016年02月05日 02:06

(中根~那珂湊・中根第一踏切道付近)
 目先を変えて、期間的には一年余りだった、茨城交通色のキハ205を。
 というわけで、この5日間茨城交通色縛りでやってみました。
 とりあえず、このシリーズは一段落です。
 
 キハ205の湊線への入線時期はキハ3710-01よりもこちらの方が遅く、ちょうどキハ113が旧国鉄色に塗り変えられた、20年前の今ごろだったと記憶しています。
 もとは水島臨海鉄道のキハ210。偶然か水島で残ったキハ20もキハ205だったりしますね。
 茨城交通のキハ20は全て「*島臨海鉄道」からの譲渡車ですね(笑)。
 勢力的には道産子気動車群と双璧を成すかもしれません。(向こうの方が1001・1002・1103の湘南顔トリオの分多いですが、時期はちょうど被りませんね)